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聖なる旅


蘇・宇佐 編

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2002.9.18〜9.20

9月 19日 (前編)
 4時45分起床、5時30分すぎに出て国見ヶ丘へ。
途中で道に迷ったこともあり、予定より遅れての到着で、すでに空は明るくなりかけていた。車を駐車して、坂をダッシュで登る。 あれっ、ここは? 何か違う・・・。前回、日の出を見た場所とは違っていることに気づいた。でも、戻る時間もない。今日は、ここから見ることにしよう。丘の上は、展望台になっていた。雲が出てきている。雲海だ! 雲が波のように流れてきて、周囲を包み始めた。まさか、雲海が見れるなんて! 空がオレンジ色に染まってきた。もうすぐ、日が昇り始める。五十鈴を鳴らして迎えた。すると、雲の動きがピタっと止まった。あの山は・・・あの形は、阿蘇の五岳にそっくり。いや、遠くに見えている山は、五岳そのものだ。間違いない。だとすると、もしかして・・・。太陽が姿を現し始めた。え〜、ほんとに〜!? 阿蘇の五岳というのは、一般にはお釈迦様の寝姿に似ていることから「阿蘇の涅磐像」と呼ばれているが、ある説では寝観音とも言われている。その頭の上、つまり涅槃像のクラウンチャクラのところから、太陽が昇り始めたのだ! すご〜い。 まさに後光が射しているかのよう。 これだった。出発の前日に、見せてくれた空。夕日の横に五岳の形をした雲が表れていた。あの空は、このことを象徴していた。予兆として見せてくれていた。これはただの偶然ではない。この日の出は、私たちへの贈り物!? そのことを知らせるために・・・。周りには、私たち以外に誰もいなかった。静まり返った中、それぞれの思いを胸に、光り輝く太陽が次第に空に昇るのを見つめていた。
 RokoちゃんとKayoちゃんは、その後もしばらく展望台の上で過ごしていた。私たち三人は、丘のふもとにある遥拝宮に向かった。主祭神は健磐龍命だが、菅原道真との所縁もある神社だとわかった。(道真さん、お久しぶり!) やはり、ここで見るように呼んでくれたのだ。感謝の気持ちを伝えて参拝した。私たちが来たことを、喜んでくれているのを感じた。賽銭箱の上に、おみくじがあるのが目に留まった。「おみくじを引いて行きなさい。」 私は神社に行っても、おみくじを引くのはお正月ぐらいのもので、普段はほとんど引かない。だから、その声を感じても気のせいだと思い、そのまま去ろうとしたが、さらに強いエネルギーで引き止められる。う〜ん・・・じゃあ、引いてみようかな。それならば、今の私に必要なメッセージを知らせてください。そうお願いして開いてみると、何と大吉だった! 私が覚えている限りでは、大吉を引いたのは生まれて初めて。シャスタの帰りに寄った台湾で引いたおみくじは、「上上」で大吉の意味だった。それに続いて、ここでも! これもギフトだ〜。 うれしいな♪ おみくじの裏には、次のようなメッセージが書かれてあった。

  過ぎたくり言、とりこし苦労、神の授けの身をやぶる
取り返しのつかぬ過去の事を、くり返して思い悩んだり、どうにもならぬ将来の事を案じ煩うのは、唯心をいため身を害なうだけで、何の役にも立たぬ愚かな事である。今日は唯今日の事を、面白く楽しく、神様を念じつつ、正しい心でやって行く。禍も転じて幸いとなる。

 そうだ、そうだ! その通り! 21世紀は、この生き方でなくっちゃね。これは、ここにいる全員へのメッセージでもあると思い、みんなとシェアした。(このHPを見ているみなさんにもね!) この間、RokoちゃんとKayoちゃんは、展望台の上で泣いたり笑ったり。二人の中で、大きな気づきとプロセスが起こったようだ。良かったね♪ この日も、たくさんの車が停まっていたが、みんな反対側の丘に行っていた。有名な国見をしている像もあるところで、カメラを抱えた人達も、みんなそこに向かって行ったようだ。私たちは何も考えず、慌ててこちらの丘に登ったが、それも導きだったのだ。誰にも邪魔されず、全く私たちだけの世界だった。その中で、この素晴らしい時間を過ごすことが出来たのだ。ありがとうございました☆ この時すでに、太陽は涅槃像のハートチャクラの上まで昇っていた。
 山を降りて行くと、雲に包まれた。太陽は、その雲の中で鏡が反射しているかのように、不思議な光りを放っていた。これは、剣山の頂上で見た風景と似ていた。幻想的な世界。その中を降りて行く様子は、天界から下界へと戻るかのようだった。それは5次元から、4次元の世界へ降りて行くような感じ。なぜなら、ここは神々の里・高千穂・・・まだ3次元の感覚ではなかった。
 宿に戻ると、女将さんが迎えてくれた。雲が下まで降りていたので、雲海が出ていたのがわかったらしい。毎年、雲海を見に来る人がいるけど、何度来ても見れない人が多いと言っていた。「みなさんは、ツイているわ〜。きっと日頃の行いがいいのね〜。」と言われ、謙遜することもなく一同にっこり。(笑) そうそう、そのまま素直に受け取りましょうね(^^)。
 お部屋に戻ると、山の間からも太陽が昇るのが窓から見えた。2回も日の出が見れて、得した気分♪ そういえば、このお部屋って、よく見ると何気に紫色を使っていた。相変わらず、光りの存在たちは繊細で、やること為すこと芸が細かい。(笑)









 おいしい朝食を食べて、高千穂を出発。向かうは、幣立神宮。鳥居をくぐって、階段を昇っていると、Kayoちゃんは早速何かを感じている様子。最初に、五百枝杉にご挨拶。また来ましたよ〜。呼んでくれてありがとう。みんな連れてきたから、よろしくね。本殿に行くと、あれっ何かいつもと違う。宮司さんの姿がなく、周囲にも人の気配がない。今日はいらっしゃらないのかしら・・・。こんなことは初めて。私たちは、ここで正式参拝をするつもりでいた。せっかく来たので、みんなで拝殿にあがり、本を手に取ったり、お札や御守りを見ていた。中央に、神拝詞が置かれていた。私が初めて参拝に来たときに頂いて帰り、翌日から毎日唱えていたものだった。そうか、宮司さんがいなくても自分たちでやればいいんだ。そこで、みんなで正座して一緒に大祓いの祝詞をあげた。この祝詞をあげるのは久しぶり。ある時期まで毎朝あげていたが、それが自分の中に入ったと感じたとき、もう必要はないとわかった。でも、この時に役立った。最後に、「五十鈴を振ってください。」との声を感じ、私は一人一人に五十鈴を振っていった。シャスタの聖地でのことを思い出した。正式な参拝は出来なかったが、今日はこれで良かったのかもしれない。自分たちですること。そのことに意味があったのかも。それに、形に拘る必要もない。自分たちのやり方で良い。大事なのは、私たちの思いなのだ。どんなに形だけ整えても、心がこもっていなければ、宇宙にも神様にも通じない。言葉に出さなくても、思いというのは全て通じているのだから・・・。
 東御手洗で御神水を頂き、八大龍の池に挨拶をした後、神様のお墓参り。ここは、今回初めて足を入れた。来る度に、新しい発見がある。ゆっくりと本殿まで戻ると、お宮参りの赤ちゃんを連れた家族から、ワンちゃんまで、次々に人が訪れ始めた。まるで、それまで張られていた結界が解かれたみたいに。(また犬夜叉の見すぎじゃ ^^;)さっきとは全く雰囲気が変わった。私たちの時間は、ここまで。そろそろ引き揚げましょう。いろいろ準備して下さって、ありがとうございました☆

 これで終わりじゃないよ。まだ一日はタップリ残っている。続きは後編でね・・・。