[Diary 135]

 



Diary 


                                 
                                                     

                                                       VOL.136

 2007年 6月 ダイジェスト  (9月 9日)                 Part 4
 6月22日(夏至)
 いよいよ夏至の日が来た。毎年この前後にかけて、大きな変革をさせることが起こっていたけれど、このような状態で迎えるとは・・・。

 この日の午後は、Yさんに会った。・・・ネパールから帰ったときに、一目見るなり「開いている」と言って、私の変化にすぐに気づいた人。
 Yさんとは数年前から縁があって、たまにこうして会うことがある。いつも淡々としていて余計なことは話さない分、一言の意味が深い。会うときは、いつも変化を迎えている時で、私に何らかのメッセージがある。

 入院したあの日(17日)を境に、地球全体も大きく変わったとのこと。(!)・・・何かが大きく動いたらしい。
 「その年齢で40度の熱が出るのは、古い細胞を燃やして治そうとし、本人が頑張って生きようとしているということ。その力が出てきている。ケイレンは、調整している。身体の麻痺も、梗塞によるものではない。麻痺させることで、身体を休ませている。」
 
 ・・・やはりそうだった。ドクターは当然、西洋医学の面から判断するけれど、私には別のことが浮かんでいた。熱が出た後で尿検査をしたら、尿にバイ菌が出ていたので、抗生物質を入れているとのことだったけれど、ヒーリングをした直後だったこともあって、身体の中の悪いものが出てくれたのだと思っていた。それについても、Yさんは同じことを言った。

 昨日ヒーリングをした帰りに、気づいたことがあった。入院してすぐの頃は、一刻も早く元気になってほしい。今まで苦労した分、これからはもっと余生を楽しんでほしい。だから肺炎の時のように、私も出来るだけのことをして、以前よりももっと元気になってもらおう、そして、また三人で遊びに行って、楽しく過ごそうと思っていた。
 でも、重症の脳梗塞で、それはもう叶わないことなのだと知って、打ちのめされていた。もう私には、どうすることも出来ないと思ったから。そしてようやく、それは私のエゴだったのだと気づいたのです。

 少しでも長生きをして欲しいと思うのは、今まで私が出来なかったことを、その間に果たしたいと思っているからであって、父には父の人生があるのだということ。もしかしたら、もうこの世でのことは終えて、早く光の世界に帰りたいのかもしれないと・・・。それを、私のエゴのために引き止めようとするべきではない。もし、父の魂がそのことを望んでいるのであれば、私は受け入れて、そのためのサポートをすれば良いのだと。
 その時が来たら、痛みや苦しみから全て解放させて、父の望む世界・・・美しい自然の中で大好きな動物たちに囲まれて、楽しく過ごせる場所を用意して、祝福した光で包んで送ってあげよう。・・・私は、そう決意していたのだった。
 その後で、熱が出たことから、父の中でまだ生きようとしている、この世に残ることを選択したのだとわかって、うれしかったのでした。

 「人間は、肉体がある状態・・・この世にいる時にしか進化出来ない。ここでやり残したことは、次に持ち越されてしまう。この世とあの世では、時間の流れ方も違う。(この世での一時間は、あの世の100年と同じ) だから、一日でも長く肉体に留まっていれば、その間に出来ることがある。身体は動かなくても、昇華させようとしている。」

 ・・・そうなのですね。父は、この世で出来るだけのことをしようとしている。早く回復させることだけが最善ではない。ならば、私はそのために必要なサポートをしよう。何年かかっても良い。急ぐことも焦ることもなく、その時間に合わせてあげよう。

 私は、3年前のプロセスを思い出した。(当時のDiary67へ) ドクターからは、いつどうなってもおかしくはない状態だと言われながらも、すぐには意味がわからなくて、早く退院して仕事に戻ることだけを考えていた。そして、プロセスが完了した後で、40日間という時間が必要だったことがわかったのでした。
 そう、父には父に必要な時間がある。私はそれに合わせて、その中での最善をサポートして見守っていれば良い。親の面倒を見て、最期を見送るのは子供の役目。それが辛くても、後悔することがないようにやらせてもらおう。そのための機会を、今こうして与えられているのだと。

 家族の繋がりで、わかったこともあった。「 母親は息子、父親は娘との血が濃く、繋がりが強い。」
 ・・・そう、それで納得出来た。母は、兄のことを可愛がっていた。あからさまではなかったけれど、私は早くから感じていた。母の精神状態が不安定になったのは、兄が家を出て四国へ帰ってからだった。それ以来、兄はほとんど家族のことには関わっていなかった。私は、そのことも、ずっと気になっていた。長男で跡継ぎになっているのにと・・・。
 それをYさんに話すと、「肝臓が悪いのでは?」 全くその通りに、去年の夏に兄は肝臓の大きな手術をしている。その回復に、今もずっと引きずっている。それは、母と息子の関わりが途絶えてしまっているからだという。母と兄の状態も、そのことが関係していたのだ。兄との流れが滞ってしまった分を、母が父に頼ってきていて、それに父も耐えられなくなってきたから、今の状態になっているのだと。
 ・・・一緒に住んでいなくても、連絡を取り合うとか、互いに意識を向け合うことをしていれば良かったのだそうです。

 去年の同じ時期だった。(夏至の翌日) Kさんという霊能力を持った人を紹介されていた。(当時のDiary107へ) その時にはまだ詳しく書けなかったけれど、両親のことも具体的に教えてもらっていた。
 その時に聞いたことは、父も高い次元から来ているけれど、母方からの影響を受けている。私も同じく、その盾となって、代わりに請け負っている。・・・その時も、納得だった。Kさんは、いずれもっと影響を受けることになるかもしれないと言っていた。Kさんは、魂の入れ替えというのをしていて、それをすると変わる可能性があると聞き、私は出来ることはやっておこうと思って、母のことをお願いしようとした。それが突然Kさんとの連絡が途絶えてしまうことに。 私はそのことから、今はする必要がないのかもしれないと思い、そのままにしていた。これまでにも似たようなことは、何度かある。私のハイアーセルフやガイド達は、縁を繋ぐと同時に、目的を果たしたり、必要のないことはプツンと切る。だから、その時もそうなのだとわかったのです。

 母とは一緒にいても距離感があった。友達が、お母さんと仲良くしているのを見て、いつも羨ましいと思っていた。愛されていると感じることは出来なかった。それは悲しいことだったけれど、今はその意味も理解出来る。私たちの間は、距離を置くしかなかったのだ。その一方で、無口な父とは関わりが少なくても、どこかで通じるものがあるのを感じていた。

 この数年間の内に、母の目が悪くなったのは、見たくないという現実逃避から。自分の世界に入ったのもそう。兄が身体を何度も壊していたのは、その関係から。
 それを聞いて、すぐにでも兄に知らせようと思った。それが、互いにとっても必要なことであり、その流れを正さないと変わらないとわかったから。でも、そのすぐ後で、もう少し待った方が良いと感じた。それにも時間が必要なのだと。

 父が倒れたとき、兄にもメールで知らせておいた。以前は良く電話で話していたけれど、一年ぐらい前から、今しばらくは距離を置いたほうが良いと感じたから。私も一人でどうして良いかわからず、いろいろ相談したかったけれど、じっくり話す時間や機会がなく、兄からも詳しく聞いてくることがなかった。
 22日からは、高知に行くことになっていた。父が入院することになったことで、高知行きは中止するべきかとも思った。でも、あの日のソーラーレインボーと、それに続くサインやメッセージ。そして、同行することになった二人も、それぞれに行く意味があるのだと感じていたし、そのための手配や準備は私がすることになっていた。私が止めると二人も行けなくなって、目的を果たせず、二人の流れが止まってしまうかもしれない。やはり行くしかない、行くべきなのだと思った。
 それで、その間だけでも、兄に来てもらえないかとお願いしてみた。柾至も私と一緒に行くことになっていたので、何かのときに近くに居てくれたら、安心だったから。・・・でも駄目だった。体調を崩していて、とても今は行けそうにないと。それを聞いて、がっかりもしていた。

 Yさんからは、それで良かったと言われた。「弱っている人が近くに行くと、もっと悪くなる。あなた一人で全部やらされているのは、それだけの力があるから。他の人に、手を出させないほうが良い。」

 続いて、こんなことも・・・。
 「あなたが傍に行くと、抗生物質も効かなくなるはず。あなたが、場のエネルギーを変えるから。病院の先生たちは、肉体の肉の部分をしているから、手は出さなくて良い。(治療法については、口を出さなくて良いということ)
 あなたは、骨から振動数を変えることが出来るので、そっちをやっておく。あなたが近くにいるだけで、周りの振動数が上がっていく。10分後には最初のスイッチが入るので、いつもなら出来ないことでも、その時には出来るようになる。あなたが意識を向けるだけで、離れていても繋がっていれば同じことが起こる。
 あなたが病院に顔を出すと、先生は一生懸命やらざるを得なくなる。だから出来るだけ、顔を出したほうが良い・・・。」

 骨からの振動数を上げるというのは、初めて耳にしたことだったけれど、それが起こると、飛躍的な変化が起こるとのこと。ネパールから帰ったときに言われた、「あなたが開くと、周りも開いてくる。」の意味と同じようです。そのために、何も特別なことはする必要がなく、意識を向けるだけで、それが自然に起こってくるとのこと。
 ヒーリングやアチューンメントの時などは、意識して設定した上でしているけれど、繋がりが出来ているだけで周りが変わっていくという。それは、私が願っていたことでもありました。いつかは、そういう存在になりたいと・・・。

 ドクターについても、思い当たることがあった。若い先生だからかなと思っていたけれど、とても熱心に取り組んでくれているのを感じていた。病室に行ったときは、いつもドクターとの話が長くなっていて、帰り際には「今度はいつ来られますか?」と聞かれ、電話での報告もマメにあった。そういえば、3年前の私の担当の先生も、そんな感じだった。やはり若い先生で真剣だった。まだ理解していなかった私は、それがプレッシャーに感じるくらいに。(^^; ・・・有難いことでした。

 そして最後に、「あなたのその力は、これからもっと出てくる。」 今の状況の中で、これらの言葉にどれだけ勇気付けられたことか。おかげで、どれだけ気持ちが軽くなったか。全ては宇宙の最善のプランの中で、動いているのだと確信出来たから。
 Yさんと別れた後すぐに、「88−88」のナンバーが目に入った。夏至の日に伝えられたメッセージは、これからの私にとっても大きな意味があった。そのための機会を与えて頂いたことに、心から感謝した。

 その足で、父の病院へ行った。ドクターから、昨日の詳しい状況説明があった。私が帰った後、ご飯もたくさん食べて、すごく元気そうだった。それからしばらくして、ガタガタと大きく全身を震わせてケイレンを起こし、40度の高熱を出した。そこで注射を打って、座薬を入れて様子をみることに。(・・・その後で、柾至が行った。) そうして、今朝には落ち着いていたとのこと。

 もしまた同じことが起こった場合、どう処置を取ったら良いか、私に同意を求めてきた。ケイレンを抑えるために強い薬を打つと、負担になることもあるし、呼吸をラクにするためにチューブを入れると、抜けなくなる可能性もあり(心臓が止まるまで抜くことが出来ない)、咄嗟の時の判断が難しいからと・・・。
 医学のことはわからなかったけれど、ただ生命を延ばすだけの無理な処置は取らずに、自然に任せる方法をお願いした。ドクターを信頼して、治療についてはお任せすることにした。

 そしてこの日の夜、高知へと出発した。