[Diary 146]



Diary 


                                                                                      

                                                    VOL.147
★詳しいレポートは、
それぞれの日付のブログのページにあります★

 2008年 1月 ダイジェスト 前編          (1月19日)              
 新しい年が明けました。今年は、年末年始を阿蘇で迎えることになり、とても充実した年明けを迎えることが出来た。 続いて、久し振りに伊勢神宮にまで。(阿蘇・伊勢編) 2度目に訪れた後も、またいつかご挨拶&おかげ参りに行きたいとは思っていたけれど、お正月に行くことになるとは、予想外だった。(!?) 


 最初に考えていたのは、12月下旬の出発で往復飛行機でのプランだったけれど、催行されなくなっていた。(!?) それも阿蘇の山から続くように、龍宮城から入って海を渡って行く意味があったみたい。 何から何まで、ありがとうございました☆

 去年の終わり頃から、この9年間のことを振り返ることになり、ずっと一本の道で繋がっていたことを確認させられた。 今から始まる新しいサイクルに向けた準備として。 そしてどんな時も、ずっと見守られ、導かれて来ていたことを・・・。

 「日本」という国が持っている役割や、今生で日本に生まれてきた意味は、数年前から知らされていたけれど、カナダに住んでいたり、聖なる旅として、日本以外のいろいろな国を訪れている意味も、良くわかってきた。
 そして、今また「日本(日之本)」である原点に戻ることをさせられている。半田代表が、昔から何度も話されていたように、地球を蘇生させるのは、この大和の国からであること。年始に、阿蘇や伊勢神宮でお参りすることになったのは、そのためなのでしょう。

 さらに、その「再生&蘇り」を象徴するように、阿蘇から帰って伊勢へと出発する直前に、「火の鳥」の画像が送られてきていたり。それには、「神様に向かっていく独りの御魂」とあり、その真っ直ぐな気持ちが必要なのだと感じた。

 また「数霊」に続いて、読んでいる「日之本開闢」からも、これまでに訪れたところと、次々に繋がってきていた。 その中にあった、主人公への神さまからのメッセージとして・・・

 「悪想念ばかりの者のそばにおると 気分が悪くなるであろうが、
 守護神もな お前の悪想念 嫌で嫌で仕方がないのぞ
 離れたがっておるぞ
 どこか他所へ行きたがっておるぞ

 人の歩みに注文つける前に 己の想念省みよ
 人に誇れる世を創っておるのか 愚か者
 神の住みよい社になっておるのか 戯け者が
 よくそんなことで 人に認めさせようとなどと思えるもんじゃ

 親兄弟も友も世も 神も仏も何もかも
 そのような悪しき想念には 触れとおないわ 判るじゃろ

 お前にひとつ教えてやろう
 憑きたがるは 邪のモノばかりでないぞ
 福の者も付きたがっておるのぞ
 うれしたのし者が選ばれるんじゃ
 福の者は 人に付いて人よろこばせ 人よろこんで己もよろこぶ
 福の者は 己がなおよろこびたいので 
 代わりに福を招く代理人を探しておるぞ
 誰ぞ身代わりおらんもんかと

 お前は邪のモノの代理人か
 それとも福の者の代理人か
 どっちになるつもりなんじゃ
 何をやっても半端のまんま
 何与えても 出るのは不足

 せめて ありがとうだけでも日本一になってみいよ
 すまんかった すまなんだと きちんと詫びてやってみよ
 先祖よろこび 神よろこぶぞ
 福の者付いて 離れんようになるぞ」

 主人公が神さまから叱られた時のお言葉なので、厳しい内容のようですが、魂にズシっと響いてくるメッセージでもありますね。誰もが、内なる神として光を宿しているのですが、その神(光)の部分を輝かせているのか、眠らせたままでいるのか・・・。守護神たちは、その輝きによって動いてくれるのでしょう。
 私も、神の住みよい社になれるよう、心身共に清めながら、もっともっと磨いていきたいと思いました。

 翌日の5日は、柾至の17歳の誕生日。子供の誕生日を迎えると、月日が経つのが早いと感じる。今でも小さな頃の姿で、夢の中に出てくることがある。私の潜在意識では、いつまでも小さな子供なのかも。(^^)
 天命は、その時期が来た時に伝えられるといわれるけれど、彼は早い内から知らされていた。(10歳と11歳のとき) それぞれ違うところからだったものの、その意味は同じだったから、間違いはないのでしょう。それは、まず親である私に、そのことを意識して育てて行くようにとの意味もあったと思う。 ・・・自分の意思とは別に、遺伝子のために、理想的な年齢で授かっていたことも。(^^)

 子供が神様からの授かりものといわれるのは、親の所有物としてではなく、一時的にお預かりしているものだからと思っている。 それだけに、親としての責任は重い。その役割も、どこまで果たせているか、まだ自信はないけれど、最後まで最善を尽くしていこうと思う。

 来年には高校を卒業し、私の元から旅立っていく。あと一年ちょっとの間に、必要なことを伝え示しながら、そのための準備をしておかないと。もっと一日一日を大切にして。
 そういう意味でも、今回こうして一緒に伊勢までお参り出来たのは、私としてもうれしかった。・・・彼はお参りした日の夜に、空中浮遊している夢をみたと言っていた。(!?)
 
 そして、楽しい誕生日を迎えることが出来たみたい。前の日の夜には、クラスの女の子の家に招待されて、友達と一緒に手作りの料理やケーキをご馳走になって、お祝いしてもらったり。当日は私とお祝いをして、その翌日は親友のところに泊まりに行って、またお祝いしてもらうことに。
 卒業後の進路も、ほとんど決まってきていて、その方向性も自然と天命に沿ってきているように思えている。あとは、その示される道を、自分の足で歩めるように・・・☆

 今年も、去年と同じ干支の置物を飾ることになった。去年の元旦に、祐徳稲荷神社の参道で見つけた、「薬師堂」さんのものが気に入っていたら、偶然手に入ることになった。その中に、こんなことが書かれていた。
 「子は、古来より大黒様のお使いといわれ、めでたいものとされてきました。また穀物・豊穣や多産のシンボルとして、大変尊ばれてまいりました。・・・」

 やはり「豊穣」なのね。(うふふ) 大黒様は、シヴァちゃんでもあるけれど、そのシヴァちゃんの息子であるガネーシャ(豊かさと繁栄の神)の乗り物がネズミさんだから、またまたピッタリ。ちなみにヒンドゥーでは、ネズミさんは「暗闇から光へと導くもの」とされているそうです。(素晴らしい!)

 またシンクロとして、今度はソンバーユの薬師堂(!)さんから、今年のカレンダーが送られてきた。それもゴブラン織で、プラチナの糸を入れて作られたものなのです。キラキラ光った、二匹の真っ白なネズミさんの絵。干支の置物も、ゴールドとプラチナカラーだったし、今年はプラチナの光に包まれた中で、「弥栄」な年になりそう〜♪
 

 9日の今年最初の茶話会では、鳳凰の羽のような光(虹とゴールドカラー)がヒラヒラ舞っていた。この光は、何度か現れているけれど、ここで「再生・蘇り」のメッセージがあったことに気付いた。(前回は、父の手術直前だった。) ハーモニーウォーターの光の色である虹とゴールドは、その意味もあったのですね。

 「111」のゲートが開かれた後、13日の新春セミナーへ。この日も、ゴールドとプラチナの光でキラキラに。 ここ数年、STSの年明けは福岡からになっている。福岡に帰ってきたのは、情報とエネルギーの発信地になっていたからなのでしょうね。そして、豊受大御神さまや宗像三女神さまたち縁の「高宮」と名の付く場所に、住むようになったのも。

 15日は、小戸の妙見神社での青龍さまの神事。ここで青龍さまが権現されたのを目にして、守り人となった前田さんが、また霊験を見せられていた。
 ・・・元旦の翌日、お雑煮を作ったら、入れたはずのない椎茸が二つ入っていた。まず買った憶えもなく、あるはずのないものだった。(!?) 不思議に思いながらも、その二つの椎茸を入れたお雑煮を、お供えしておいた。するとさらに驚いたことに、しばらくしてみたら、その内の一つの椎茸が半分になっていた。誰かが食べたみたいに!? ・・・それで、ある霊感のある人に見てもらったら、神さまが示現として、霊験をあらわしてくれたものと言われたそうです。

 私たちも、その椎茸を見せてもらった。不思議だけど、ここの神さまなら有り得る出来事。少なくても、ここに集まっている人たちは、その話を素直に信じられた。前田さん曰く、今年はいよいよ大きく働かれる時となって、ますます栄えていく。その徴でもあると言われていた。
 何もないところから、一人また一人と、どこからともなく集まるようになり、祠が出来て、屋根が出来て、登り道も作り、去年の秋には立派な鳥居も出来た。そうして人の手を使って、少しずつ形が出来ている。

 この日、青龍さまが権現されて7年目と聞いて、私もハッと浮かんでくることがあった。私がハーモニーウォーターと繋がってからも、7年目に入っていたから。その時、空に現れた龍神さまからメッセージを頂いたのです。この後に、大事なものと出会うということを。(Diary 11) そのことを思い出して、鳥肌が立ちそうになった。
 ここに来るようになったのは、一昨年のRAINBOW TOURの前だったけれど(Diary 112)、もっと以前から繋がっていたのだと。そして、この海を守るために、HWと出会わせて頂いていたのだと・・・。 

 「2008年は、全ての膿を出し切り、水に流すこと。
 社会や家庭、人間関係などの周囲の淀んだ水を浄化して、清らかに生きることを心がける。」

 やはりキーワードは水であり、清めることなのですね。「清めたところに、光が降りてくる。」 自分自身はもちろんのこと、周囲の環境も清めながら、澄みきった水のように、真っ白な雪のように、生きることを目指したいと思います☆