[Diary 14]




Diary


                         Vol.15

2002年 3月 21日
 その後もノンストップで続きます・・・。(アンコールワットのアップまでなかなか行けないよ〜)
3日の日、兄と別れて午後は山田さんたちと越智啓子さんのセミナーへ。精神科医のドクターで、現在沖縄でクリニックを開かれている啓子先生。目にも鮮やかな黄色の衣装に身を包み、笑いとユーモアたっぷりのお話の中で、今を生きることの大切さを伝えてくれていました。”過去でも未来でもなく、今にはまること” 今のこの瞬間を大切に・・・。他にもお話の中で、たくさんシンクロすることがありました。大和のお話や、それぞれの名前にも意味があること、惹かれる場所や縁あって訪れる場所は、過去生と関係していることが多いことなどなど。最後には、ヒーリングのデモンストレーションが行われ、その方の過去生を見ながら、啓子先生が代理母となり、「生まれて来てくれてありがとう」と抱きしめる場面は、とても感動的でした。啓子先生の手に係ったら、どんなに苦しいことも、天性の明るさと光りの中で吹き飛ばされそうですね(笑)。楽しくて、素敵な時間をありがとうございました。また是非お会いしたいです☆


ヴォイスヒーリング
生まれてくれてありがとう


 6日の日、山田さんから電話がありました。3日に会った時に、高知のお二人を福岡に呼びたいねと話していたのですが、その翌日にお二人のほうから連絡があり、天からのお伝えで突然来られたのだそうです。山田さんの臍に”かむろぎ”が入り、この場所がこれから情報の発信地になり、坂本龍馬が今入ろうとしていると言われたそうです。「これから僕も、いよいよ動かされることになった。」と、何時になく深刻な感じの山田さん。そして、歌が出来たので、誰かその歌を唄ってくれる人を見つけて欲しいと言われたので、牛島さんかAikaさんに声を掛けてみようと思っていたそうです。そうして、お二人が帰られて数分後に、「いま上の方から、ここに電話をするように言われました。」とAikaさんから電話が!「もう、ゾクゾクしたよ〜」と山田さん。それを聞いている私も、鳥肌が立っていました。その高知のYさんに、何人かの氏名(使命)を見てもらっていたそうですが、そこでAikaさんと半田先生のも出してもらったそうです。(実は、私も是非聞いてみたいなと思っていたのです。) 個人的なことですから、ここで公開することに対して考えてしまったのですが、このお二人が真に地球のために動かれていることと、この完全な宇宙の仕組みをみなさんにも伝えたいという思いから、紹介させて頂くことにしました。 名前の使命については、こちらのページに。(高千穂編 2
 まずAikaさん(本名 橋本恵子さん)から

は 放たれた矢を
し 死にものぐるいで抜き
も もとの元に繋がって
と 永久に幸あれと祈り続ける
け 敬虔な
い 祈りの波動を
こ 声に託して送る

私の氏名(使命)は、はしもとけいこと申します。 前生 聖母マリア

 これを聞いて、私もまた身体中がブルブル震えてきました。やっぱり、聖母マリアさま・・・。初めてAikaさんにお会いし、歌を聴いたとき、マリア様が目の前にいる。そう感じないではいられませんでした。(ここで言われている前生というのは、そのお方(マリア様)の分け御霊(分魂)が入られているということです。)Aikaさんに、そのことを伝えたとき、今まで矢のことが気になっていたのが、これでわかりましたと言われたそうです。
 そして、半田先生は・・・

は 遥か彼方宇宙より
ん 運命の糸を繋ぎくる
だ 誰にも知られぬ
か 神々からの知恵を
ず ずっとお知らせします
の 農業から宇宙物理まで
り 量子力学を越える学問を修めきる

私の氏名(使命)は、はんだかずのりと申します。 前生 アインシュタイン

 またしてもそのものズバリでした。Yさんはこの時にはまだ、お二人に会ったこともなければ、何をされている方かも知らされていません。ただ名前を聞いただけで、紙にサラサラと書かれるのです。山田さんは以前、アインシュタインが生きているときに伝えることが出来なかった科学、さらにそれをも超えて行く科学を、世に出して行く人が日本から出るということを聞いていたそうです。そして、あるときから半田先生がアインシュタインのメッセージを伝えるようになって、それは半田先生に違いないと思っていたそうです。先日の柿坂宮司の講演でも、「これからは生きていく科学が発達していかなければいけないのです。それが、これから出てくるでしょう。」と話されたのを聞いて、私も半田先生のことが浮かんでいたのです。私はまた別のところで、アインシュタインが生前に残したメッセージを聞かされていました。

 近代日本の発展ほど世界を驚かしたものはない
 この驚異的発展には他国と異なる何ものかがなくてはならない
 果たせるかな この国の三千年の歴史がそれであった
 この長い歴史を通じて一系の天皇を戴いているという事が、今日の日本をあらしめたのである
 私はこのような尊い国が世界に一ヶ所くらいなくてはならないと考えていた
 何故なら世界の未来は進むだけ進み、
 その間幾度か戦いは繰り返されて最後には戦いに疲れる時がくる
 その時、人類はまことの平和を求めて世界的な盟主を挙げねばならない
 この世界の盟主となるものは武力や金力ではなく
 あらゆる国の歴史を抜き越えた最も古く、また尊い家柄でなくてはならない
 世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る
 それはアジアの最高日本に立ち戻らねばならない
 我々は神に感謝する
 日本という尊い国を創っておいてくれたことを

                               A.アインシュタイン  大正11年来日時

このような素晴らしい方たちと、ご縁を頂いたことに改めて感謝しました。

 7日のことです。夕方ベランダに出てみると、空が金色に染まっていて、上からまるでオーロラように光りが注いでいるのが見えました。久しぶりにきれいな夕日が見れたなと思いながら、しばらく見つめていると、小さく光る物体がその夕日に向って飛んで行くのが目に入りました。最初は当然、飛行機だろうと思ったのですが、良く見ていると、その物体はオーラのような緑色の光りに包まれているのです。そうこうしていると、明らかに本当の飛行機が音を立てて、横切るように飛んで行きました。そう言えば、その物体は飛行場とは全く違う方向から出てきているし、大きさが全く違う。この飛んできた飛行機が、その違いをはっきりと見せてくれているかのよう・・・。そして、その物体はふっと突然消えてしまいました。これは、もしかしたら光りの家族たちからのメッセージ? いつもは、時折青白い光りを放つことで、傍にいることを教えてくれているのですが、今回こうして違った形で見せるのは、何か特別なことが起こることを知らせてくれているように思えました。
 8日の日になって、急に思いついて秋山さんにもう一度アートを描いてもらうことにしました。そのアートは、その人のスピリュチュアルを表しているので、成長と共に変化して行くようです。今年に入って描いてもらったという、山田さんの2枚目のアートからも、そのことがわかりました。「これを見ると、僕も少しは成長したみたいだな。」 
 私も今度描いてもらおうかなあと思っていたところに、秋山さんが来るとのこと。思えば前に描いてもらったのは、幣立に行く前日の夜のこと。あれから約1年が経っていました。当日の朝になって電話をしたのですが、お互いの時間もピッタリだったので、やはり今がその時だったみたいです。
 そのアートは、こちらです。

 本当にこのアートって不思議・・・。1年まえのアートと見比べると、この間に起こったことが良く表れています。あの聖なる水は、宇宙からのギフトであるハーモニーウオーター。私の肉体から魂までを自然な形で常に浄化してくれています。そして、12個の光りの玉。描いているときは、光りの存在たちのことが浮かんだのですが、後になってこの12という数字には、別の意味があることがわかりました。

” 最初に地球にやってきた存在、すなわち人間たちのDNAは、12という数に基づいた遺伝の青写真を持っていた。この12の情報の束は、人間の体内(7つ)、および体外(5つ)にあるそれぞれの情報センターと人間を結び付けている。12のチャクラを活性化すると、その12のチャクラと平行して存在する12のセンターに貯蔵されているエネルギーとも繋がり、それによってプロセスが活性化される。
 DNAの12の束が活性化されると同時に、12の情報センターが活性化され、回転を開始し、活動を開始し、解放される。これが12の回転体の接続の始まり。エネルギーのこの統合が起きるとき、太陽系の12の天体にエネルギーがもたらされる。そして、この12の天体が地球にエネルギーを送り始める。12という数からなるグループは、この他にも数多くあり、例えば回転する12の宇宙がその一つの例といえる。12のエネルギーセンター
、特に体外の5つのセンターが、地球と元のように接続すると、信じられないほどのエネルギーが生まれる。”

 そして、私のハートに埋め込まれているというディスク状のものに対しても、プレアデスの光りの家族たちはリーディングと同じメッセージを伝えていました。
 
” それがあなたのなかにある、ある種の情報を引き出す引き金となる。また、あなたの仕事を非物質界から手伝っている存在たちが、あなたの存在の内部に情報を直接送り込むときに役立っている。この光りの言語の構造は、あなたの発達を助ける情報やエネルギーを受け取るための一つの手段である。そして、この円は神のかたち、統一、そして完全を表している。”

 秋山さんは、このスピリチュアルアートを通して、光りのお仕事をしているのですが、その秋山さんの氏名(使命)も紹介させて頂きます。

あ 明かされた宇宙最高の叡智
き 清き御霊持ちに降ろされ
や 大和しきしま日の元を
ま まことの波調に戻すため
み 磨ききられた天能を
ね 根につなぎ
お 多くの方々にお伝えする

私の氏名(使命)は、あきやまみねおと申します。

 秋山さんも、これを聞いて驚いていました。以前、同じようなことをあるお坊さんからも言われていたそうです。秋山さんもこの1年の間に、いろいろなことがあり、中でも9月に40日間和歌山から山陰、四国と周ったことが大きな経験になったそうでした。(やっぱり9月なのね〜) 「僕もこれからが本当の始まりだと思っている。」 秋山さんには、いま岡本太郎の御霊も入っていて、国づくりの大国主命が守護神としてついているそうです。また大和・・・やはり、この日本からスタートさせるのですね。そうして同じ志を持った人たちが、一つのところに集まって来ているのを感じています。

 9日から10日にかけては、柾至と一緒に「背振の親子のつどい」に参加です。この自然の家のプログラムに参加し始めたのも、ちょうど1年前のこと。自分で山登りをしたのは、その時が初めてのようなもので、あの日は雪が残る中を登り、わずか2時間余りの登山にも関わらず(でもその時はクタクタ〜)、翌朝に40度近い熱を出した時のことです。あのときは身体中の筋肉の痛みと熱で、私の身体ってこんなにも弱かったのかと情けなく思ったのですが、もちろん薬も何も飲まず、冷やすことすらしないで、そのまま全身で受け止めて、自力で翌日の朝には完全復活。熱が下がった後は、それ以前よりもすっきり!この高熱で細胞が原子転換され、文字通り細胞から生まれ変わったのを感じました。それから、年に4回あるプログラム全てに参加することになったのです。そのうちに、背振山系は龍の謂れのある山だと知り、初めてその山に足を踏み入れたあの時に、背振の山の(自然界からの)洗礼を受けたのでは、と思いました。

 今回の登山は九千部山。九千部山の山頂には、弁財天様の祠があり祀られています。私たちはこの山をペルーに出発する数日前に登っていたのです。この日は朝9時30分に出発して、沢沿いに登り始め、途中ではイノシシが大きな穴を掘っているのを見つけたり、霜柱が太陽に照らされてキラキラしていて、まるでクリスタルみたいに光っているのを見ながら歩いていました。お昼前には山頂へ到着。前回も一緒に遊んでいた女の子のちいちゃんが、今回も柾至にくっついて、一緒にお弁当を食べたり遊んだり。本当の兄妹みたいねと、またスタッフのお兄さんたちの声。下りのときには、わざと木に掴まって触れあいながら、バックパックから響く五十鈴の音と一緒に、光りを送っていました。いつもエネルギーを頂いている木や草花や山の精霊たちに感謝の思いを込めて・・・。三国峠から七曲峠を越え、佐賀橋から自然の家まで。行程約15kmで、最後の1時間は登り、到着は午後5時というハードな行程ではありましたが、全員で何事もなく無事に完歩。さすがに部屋に入ったときは、どっと疲れが出ましたが、翌日に少し足がだるかったくらいで、筋肉痛も思っていたほどありませんでした。おかげさまで、身体のほうもこの1年で少しは鍛えられたみたいです。v(^^)v 
 夕食は、またバイキング。みんなお腹ペコペコだったから、パクパク・モリモリ。夜は、天体観測。オリオン大星雲に木星や土星。そして、スバル座(プレアデス)の星たちを大きな望遠鏡で見ながら、私もしっかり挨拶してきました♪ この日は雲一つない空で、おまけに風があったために塵が飛んで、いつもよりも星が良く見えていたそうです。
 翌日は、竹馬作り。ちいちゃんのお父さんや、スタッフの方たちに手伝ってもらいながら、ようやく完成。最初は立つのも難しかったのに、最後には少し歩けるようになって、柾至もうれしそう。いいお土産が出来た。お昼は、みんなで野外調理で豚汁作り。柾至も頑張ってお野菜を切ったり、炭で真っ黒になったお鍋をゴシゴシ洗ったり。先生たちお手製のくんせいも頂いて、おいしい空気と一緒に食べて、しあわせ〜♪ 早春のフレッシュなエネルギーをしっかり頂いてきました。(1年の中で一番新鮮なエネルギーですね) この時期のプログラムは、私たちにとっては冬の間に眠っていた細胞を目覚めさせたり、活性化させるには最適でした。これで身体のほうも準備OK! さあ、いくらでも来ていいわよ〜って感じ。(笑)



 12日のこと。先週久しぶりにY.Yさんから電話があり、私に話があるということで5日に来られました。2月に入ってすぐに、ずっと電話をしていたそうです。(そのときはアンコールワットでした〜) この間に新しい出会いがあり、八ヶ岳である神事に参加したとのこと。そこで、今の私にシンクロする事柄が次々に出てきました。それも今度の長野行きに関わりがあることばかり。何かあると感じた私は、この日にその団体の支部に連れて行ってもらうことにしたのです。そこでは、いろいろな活動をしているのですが、その中でも国内の神社やいわゆる聖地などを、祈りながら開いているそうでした。それによって、今まで明かされなかった事柄が次々に解かれているとのこと。入門編では、神様に本当に祈りが通じるという秘権も伝授しているとのことだったので、次のクラスはいつあるのかと尋ねてみると、何と今月はその日の夜。でも場所が太宰府のほうだったので、最終の電車には間に合わないなと考えたのですが、そこのスタッフの方が私の隣の駅に住んでいることから、帰りは迎えに来てくれることに。 このタイミングに迷っている場合ではないと思い、その後の予定を変更して受けに行きました。如意宝珠の玉というのも授けてもらい、午後8時から4時間余り。内容そのものは、私もすでに実践していたり、わかっていることがほとんどだったのですが、一緒に受けた方(この日は二人だけ!)には新鮮だったようです。今日ここに来たのは他にも意味があるような気がしていました。終わってからもスタッフの方たちと話が弾んで、気がつくと午前2時過ぎ。産土神社を大切にするようにとのメッセージは、繰り返し来ていたので、そこで産土神社や福岡の神社のことをいろいろ教えて頂きました。神社と言っても本当に神様がおられるところと、そうでないところがあるとのこと。中でも筥崎宮は福岡の産土でもあり、大切な神社なのだそうです。まだまだこの先も知りたいことばかり。この日の出会いは、そこに繋がりそうでした。

 その翌日の13日です。午前中にセッションに来ていたM.Sさん。ヒーリングの最後に五十鈴を振ったとき、目の前に大きな白龍が現れたそうです。彼女は、以前からセッション中にペガサスやマリア様や光りのビジョンを良く見ていたのですが、白龍は初めてだったそうで感激していました。実はこの日の朝、私も白くて強い輝きを持った光りが流れるように私の周りを囲んでいるのが見たのです。以前にも同じものを見たことがあるのですが、こうも立て続けにサインが来るということは、今度やって来るものは相当大きいことみたい。(ドキドキ・・・でもワクワク♪)

 14日には兄から小荷物が届きました。たまたま中国の物産展があったので入ってみると、龍の玉と鳳凰の玉がセットになって赤い箱に入っているのを見つけたそうです。掌でくるくる回すと、きれいな音を奏でて気に入ったので、私の分も買って送ってくれました。ちょうど掌にすっぽり収まる大きさで、銀色の玉に虹色の光りのような模様が入っていて、それぞれの玉に龍と鳳凰の絵が印されていました。何とも言えない不思議な音・・・。回していると、本当に龍や鳳凰たちが目の前に現れてきそう〜。ようこそ、わが家にも!
 夜は、太鼓を中心とした伝統的な音楽芸能の集団「鼓童」のコンサートへ。「ONE EARTH TOUR」のタイトルが付けられ、そこにはこんなメッセージが・・・

 ”世界には、様々な人が異なる文化の中で生きています。この小さな地球で今最も大切なのは、お互いを認めあい、共存していくことではないでしょうか。昔から太鼓は共同体のシンボルとして、人と人、人と神をつなぐ役割を果たしてきました。私たちは「一つの地球」をテーマに掲げ、言葉や習慣を越えた共感共同体を随所につくる旅をこれからも続けていきたいと思います。”

 とにかく素晴らしかったです!! オープニングから圧倒されました。笛や太鼓の音は魂に響き、太鼓を叩く動きの一つ一つまでもが美しくて、素晴らしい芸術作品を見ているようでした。メンバー達の澄み切った顔は、イキイキと輝いて素敵。私たちはその中でも特に惹きつけられた人がいたのですが、柾至はその人の周りに紫と白のオーラを見ていました。フィナーレの大太鼓は圧巻!一体どうやったら、あれだけのパワーが出て来るのでしょう。場内からは、ため息と拍手の渦でした。何枚かある鼓童のCDの中で、ペルーのナスカから宇宙をテーマにしたという「ナスカ幻想」を手にすることにしました。ペルーの民族楽器と日本の和楽器が一つに溶け合って、宇宙のハーモニーを奏でていました。
 迫力あるコンサートの写真をどうぞ。

 15日・・・この日は12日に紹介してもらったところで、筥崎宮の秘鍵開示があると聞いたので見に行きました。残念ながら、そこでは内容については公開することを禁じられているのですが、(私としては全部お伝えしたい・・・ 真理や叡智はみんなで分かち合ってこそ生かされると思っていますから。) いつものように宇宙に許可を頂いたので(^^)、差し支えない範囲でお話させて頂きますね。
 筥崎宮に降りてくるエネルギーが私の生まれ星と関係していたり、それに天拝山との関わりまで出てきて驚くことばかり。筥崎宮と言えば、去年のあじさい祭りに行ったり、放生会では博多金獅子に出会ったところです。私が天拝山に惹かれて行くようになったのも、太宰府天満宮とのご縁も、何の偶然もなく全てにおいて意味があったことがわかりました。そして、去年突然Y.Yさんに誘われて御払いに行った宇美八幡宮との関係。そこでお生まれになった応神天皇のへその緒が、この筥崎宮に埋められているのは良く知られていることでしたが、それには神功皇后の「寛大で慈悲深く、非凡な行動力を備えたリーダーとして育つように」との願いが込められていたとのこと。
 私は、このあとそのまま筥崎宮へ参拝に行きました。それまで気づかなかった奥にある末社には、龍を祀ってあるところもあり、また潮乃井の砂として箱崎浜の砂に祈祷をしたお砂が置かれてあることにも気づきました。せっかくだから少し頂いて行こうと、すくって入れようとすると、そのすくったところの砂が紫色に見えたのです。目の錯覚だろうと思いながら、何度かしてみたのですが、そのすくった砂だけが少し赤みがかった紫色に見えるのです。最近、読み返していた美内さんの「アマテラス」の中で、”紫色の光りの波は、位の高い龍神系のエネルギー波かもしれない”とあったのを思い出しました。桂浜で見えたのも、それに関係していたのかもしれません・・・。
 この筥崎宮が開かれると、日本に大きな変化が起こり始め、これらの天皇たちのように天からの霊的インスピレーションを受けて、人に夢を与え、国を守るようなリーダーが育って行く・・・とのメッセージも。きっと、この開いた方たちも含めて、それぞれの中の(あるグループであったり、地域であったり)スピリチュアルリーダーになる役目を担った方たちが、ここに集まって来るということなのかもしれません。その筥崎宮が開かれたのは2年前のこと。その日付を見ると6月30日で、私の生まれた日でもありました。そして、この日は15日。神道では毎月1日と15日は、神様の日となっています。そのため、普段よりも神社の気が満ちていると言われている日でした。朝方まで雨が降っていたのですが、午後には良く晴れた穏やかな日でした。この日がたまたま都合が良かっただけなのですが、この偶然にも感謝し、この福岡という土地に来れたことにも感謝しながら、またこれからも参らせて頂くことをお伝えして帰りました。

 実は、この前日の夜からこの日、そして今週にかけてと立て続けに、高知の方を通して大切なメッセージを頂きました。これが、その始まりというのを告げているようです。そのことについては、もう少し一段落してからお伝えしようと思います。その前に長野行きもありますから。このために、先週から用意されていることがたくさんあったのです。長野で何があるやらドキドキですが、全てお任せして行ってきますね☆

3月 8日
 続きです・・・。
 28日、兄が朝の稽古から帰った後、まずは宮地嶽神社へ。去年の6月に訪れたのが最初で、ここもまたぜひ参拝に来たいと思っていた所です。ここには三つの日本一の、大注連縄・大太鼓・大鈴があります。本殿に入ったところで、何と見事な大桜が満開の花をつけていました。一瞬、梅の木と思えたほどです。この時期に、こんなに見事な桜の花を見ることが出来るなんて! 一足早く春を味わせて頂いたのですが、本来なら春にスタートするはずの動きが、すでに始まっていることを知らせてくれているように思えました。七福神社を始めとして、奥の宮八社を一つ一つ参拝して行きました。この日は、ちょうど春季大祭の日で、最後の不動神社では、ぜんざい祭りが行われていました。古来よりお供えされた黒砂糖で作ったぜんざいを、参拝客にふるまったのが最初で、このぜんざいを頂くと一年中無病息災疑いなしで、心を込めてお祈りすれば「善哉・善哉(よきかな・よきかな)」と願いを聞き届けて下さると言われているそうです。この日に来れるなんて幸せだなあと、お餅の入ったおいしいぜんざいをたっぷりと頂いてきました。(^^)

 松が谷餅を頬張りながら、次は宗像大社へ。ここも前から一度行ってみたかったところ。私も去年から、いろいろな方を通じて話を聞いていたのですが、兄がうちに来る前に宗像大社のサインを見ていたこともあり、今がそのときだと感じて、一緒に行くことにしました。一般には交通安全の神様として知られていますが、古代より道の神様と信仰が篤く、外国との貿易や進んだ文化の受け入れの窓口として重要な位置にあり、「最高の道の神様」として日本書紀にも記されているそうです。心字池を通り、凛として厳かな佇まいの拝殿で、五十鈴を振って光りを送りながら参拝させて頂きました。(写真左)合わせた両手が、みるみる熱くなり、宗像の神々様が応えてくれているのを感じました。本殿から奥にある、第二宮・第三宮、そして宗像大神さまのご降臨の地である高宮へ。(私が住んでいるところと同じ名前だなんて光栄です ^^) ここは全国でも数少ない古代祭場の地。木々で覆われた奥にあり、神気に溢れたところでした。光りを送った後に、周囲にお砂を蒔かせて頂きました。宗像から船で渡ったところにある沖ノ島。そこは、「海の正倉院」とも呼ばれ、島全体が御神体となっている神の島とか。昨日の柿坂宮司のお話にもあったところで、そう言えば大田さんが話していた、宗像の海の底に大陸が眠っていると言うのは、この島のことだったのかな・・・。次に来る時は、ぜひ行ってみたい。

 最後には、光岡にある神社へ。瞑想会で宗像に行くことを話したら、山田さんたちから、もと宗像の神社が近くにあるから行くといいよ、と教えてもらったところ。簡単に地図は書いてもらったのですが、社務所で確認しようと思っても、この神社のことは知らなかったようなので、光岡という地名を頼りに車を走らせました。もし行く必要があるのなら、呼んで頂いているのなら、必ず迎えに来てくれるはず・・・。そろそろ近づいて来ていると感じた頃、こんもりと木の生い茂ったところがあったので、行ってみたところがそうでした。光岡八幡宮が正式な名称。小さい頃おばあちゃんのところに行くと、良く遊んでいたのが八幡さまの神社だったと兄が思い出しました。私は、ほとんど記憶になかったのですが、今の氏神様も八幡宮だし、この前お祓いに呼ばれて行ったのも八幡宮だったので、縁があるのかも知れないですね。この神社は小さいながらもきれいに掃除されて、手入れが行き届いていました。ご神木には、立派な楠の木(写真左)が祀られています。数メートルはある大きく張り出した根っこが力強さを物語っており、「良くここまで来てくれました。」と迎えてくれているのを感じました。その木に手を触れ光りを送ると同時に、大地から伝わる力強いエネルギーを頂きました。兄はもちろん、私も車では初めて来る場所だったのですが、この日も全て予定通りにスムーズに終わらせることが出来ました。(さすが〜♪ 有り難いですね)


 兄は、この日の夜は道場の懇親会に誘って頂いて、師範たちと食事をしながら、みんなでお話をして、いい時間を過ごしたようです。またそこでは、同じ愛媛出身の人もいたそうです。次の日に高千穂へ行くことを話すと、地元の方から、この道を通ったほうが良いと教えて頂いていました。
 阿蘇・高千穂レポートは、聖なる旅のページへどうぞ。


 兄は、この2日の夜にフェリーで帰るつもりだったのですが、この日は船がドックに入っているので、翌日の午後にしか出ないとのこと。そのおかげで2日はゆっくり帰れて、翌日も午前中は合気道のところへ最後に寄ることが出来ました。去年来た時も、3日目に高熱を出して帰れなくなり、その間に身体は浄化され、それと同時に大きな目覚めと気づきを頂いたのです。そのときに彼の目を見ると、仏陀が浮かんできて、まるで悟りを開いたお坊さん(!)のような感じになったなと思っていました。瞑想会で帰ろうとしたときに、山田さんから「前は(前世は)、お坊さんだったんじゃない?」とさらっと一言。当の本人は、まだ全然自覚していないので、たまたま坊主にしているだけだから・・・と笑っていましたが、私は内心「おっ、するどい!やっぱりそうかも・・・。」 またこの間に、M.Sさんが来ていたので、一緒に写した写真を見せていると、兄を見たときに、オレンジ色の袈裟を着ている姿が浮かんだと言っていました。「やっぱり〜?」 うん、確かに彼は修行僧タイプだな。これまでは肉体もハードに使って、自分に厳しくしていたけれど、今回来たことで、楽しむこともわかったと言っていました。そして、今までは先のことへの不安があったけれど、わからない先のことを、むしろ楽しんで待っていることが出来そうだ、これから何が起こるかが楽しみになって来たと・・・。そうそう、その通り!だって、楽しいことしか待っていないんだもん。この1週間の間に、早いペースで、しかもてんこもりで次々にやって来たので、最初は戸惑いがちでしたが、そのうち彼もこのペースにも慣れる時が来るでしょう(笑)。本当に一度動き出したら、止められない。止めるなんて勿体ないよね。せっかく与えられているもの、しっかり受け入れて、楽しみながら進んでいきましょう。
 このつづきは、また次回ね☆
3月 5日
 25日に兄がMioちゃんを連れて、やってきました。
高知で会ってから、このわずか2週間の間に急激にいろいろなことが起こり、ここに来るしかないような状況になったそうです。そうして一緒に過ごした1週間、兄にとっては毎日が驚きと感謝の連続でした。その一部をシェアしたいと思います。

早朝、フェリーで到着。この日は、あまりにお天気が良かったので、最初の予定を変更して太宰府に行くことにしました。まさに小春日和で、梅をるには最高のお天気。16℃ぐらいはあったかな。ここ太宰府には6000本もの梅が植えられており、どの木も私の大好きなピンクや白の美しい花を咲かせてくれていました。本殿横にあるご神木の飛梅は、菅原公を慕って飛んできたと言われています。毎年、この梅の木が咲いてから、他の梅が咲き始めると言われているのですが、本当にその通り! 他の木が一斉に花を咲かせている時、この梅の花だけが枯れかけていたのです。思わず感激でした。青い空の下、梅を見ながら食べるアツアツの梅ヶ谷餅に、金粉の入った梅茶は最高です(^^) この美しい自然を、四季折々に感じることの出来る素晴らしい国、日本に生まれて良かったとつくづく感じました。
 

 夜は兄と一緒に瞑想会へ。月に一度の瞑想会の日に来ることになったのも、いかにも宇宙の仕業って感じがしたのですが、やはりその通りでした。(^^) 兄は、この間に幣立に行ってみたいということで、私もそれに合わせて急遽予定を立て、翌日の27日から高千穂・幣立に行くことにしました。すると、山田さんが入って来た私の顔を見るなり、「今度の土曜日に瀬田先生たちと、幣立で神事をするから一緒に行かない?」とのこと。瀬田先生もちょうど来ていて、お話を聞いてみると、高知の方たちが関係しているとか・・・。急に決まったそうで、そこで具体的に何をするか、他に誰が来るかは、この時にはまだ良くわかりませんでした。セッションの予約も変更してもらって、宿も予約したばかりだったのですが、私も何かあると感じたので、はい行きま〜す!と即答。 またまた予定変更です。(笑) 瀬田先生は、高知での半田先生の写真を見て、これは龍神のエネルギーだと言われました。セミナー中に、ずっと音がしていたのですが、それは龍神さまが上で周っていた音だったそうです。今は龍神界が人類と地球を救うために動いているとのこと。今度の幣立の神事もそうで、瀬田先生も自分では訳がわからないまま、あちこちに動かされていると言っていました。(いっしょ、いっしょ)
 この日の瞑想会は、いつもより多くて、何気に並べた座布団の数にピッタリの13人(またまた〜)。先月お誘いしたS.Yさんのお姉さんも間に合っての初参加。終わってからも、それぞれのオーラビデオを見たり、Kakuさんのスピンボールを回したりと、いつにも増してみんなでワイワイ盛り上がっていました。兄もみなさんといろいろなお話が出来て、すごく喜んでいました。その帰りに、二人で話がしたいとのことで、通りがかりのラーメン屋さんに入りました。私も初めて入ったところですが、店内に「ここの水は全て、身体に優しい水を使っています。」の貼り紙。ハーモニーウオーターには及ばなくても(笑)、こうして水に気をつけてくれているところがあるのは、うれしいですね♪ そこで、今回私のところに来ることになった経緯を聞いていました。私も驚くようなことでしたが、それも意味があってのこと。周りの人たちみんなにとって、良い方向に向かうためだと話し、納得していました。

 26日の午後は、私のお気に入りの教会の書店へ。以前、兄たちのところに行った時に、お土産に持って行った天使グッズを気に入っていたので、ここに来るのをとても楽しみにしていたそうです。イエス様やマリア様に可愛い天使たちでいっぱいの店内に、二人とも大喜び。そういえば、私も久し振り。マリア様のメダイについて書かれた本をめくっていたら、メダイの裏にあるクロスはイエス様、Mの文字はマリア様の御心をあらわしていると書かれていました。そうだった・・・Mはマリア様のMでもあった・・・。いつも見守ってくれていたのはわかっていたつもりでしたが、ここでまたマリア様の慈愛のエネルギーに触れ、ふわっと優しく包まれたのを感じたと同時に、涙が出てきました。3人で幸せな気持ちに包まれて、お店を出ようとしたら、兄が教会の中にも入ってみたいとのこと。私もいつでも入れるとは知らなかったので、中まで入るのは初めて。パイプオルガンの流れる中、一歩中に入ると・・・柔らかく温かい光りに溢れていて、思わずまた涙が・・・。私たちを温かく迎え入れてくれているのを感じました。これから天神に出たときは、ここに来てお祈りさせて頂こう。実はこの教会は、私が結婚前に働いていたところから、わずか50m先の向かいにあったのです。4年近くも通いながら、その頃は気にも留めていませんでした。(今頃になって気づくなんてね ^^;)その後、結婚して住んだところは、又しても教会のすぐ近く。その時は、アメリカから来ていた宣教師の方たちと親しくなったので、聖書のことを教えてもらったり、まだ小さかった柾至を連れて、時々礼拝にも参加していました。(洗礼を受ける寸前まで・・・) 一方兄のほうも、神戸で通りかかった教会に入ったときに感動し、ステンドグラスを撮って現像したら、注文もしていないのにある1枚だけが大きく引き伸ばされていて、不思議に思ったそうです。何かのメッセージを伝えてくれているみたいに・・・。その模様は、丸みを帯びた花びらのような形で広がっていて、STSのマークにそっくり!? 教会を出て歩いていたら、「足が痛かったのが、なくなった!」とMioちゃん。兄のほうは、思いついたかのように電話をかけ、20分以上話していて、終わった途端に「これで解決した!昨日、話していた通りになった!」と興奮気味。昨夜話していたことが、この僅かの間に起こっていて、全てが丸く収まっていたそうです。今まではわかっていても、それを行動に移したり、実際に変化させるには時間がかかっていたのですが、心から信じてみることで、こんなにも早く動くものだということを、兄はこの時初めて経験したようでした。「今からお祝いしよう!」と、ハイテンション(笑) このことによって、大きな確信とこれからに対しての自信が持てるようになったみたいです。v(^^)v 
 夕方からは、柾至が入っている合気道の道場に、地図を片手に一人で出かけました。そして、帰って来たのは11時半も過ぎた頃・・・。(うちから、その道場までは一つ隣駅から歩いて10分ぐらいのところ) またここでもいろいろあったみたいで・・・^^。一緒に練習をさせてもらっていたら、そこで最後まで残って熱心に練習をしていたアイルランドの人と親しくなり、そろそろ帰ろうと思ったら、その人・・Rさんが住んでいるのは同じ高宮で、私のご近所。二人で話しながら歩いて帰り、そのままRさんのアパートへ。そこですぐ下に住んでいる同じ合気道の友達でアメリカ人のDさんも呼んで、3人で盛り上がっていたそうです。そこへ、Dさんの日本人の奥さんもやってきて、兄が私の話をしていたら、「Miyukiさん?」と奥さんのFさん。私も最初、名前を聞いただけではすぐにわからなかったのですが、そのFさんは柾至のパパが学生だった頃に知り合い、それからはFさんのお母さんが彼の母親代わりとして、いろいろお世話になっていたのです。その話は彼からも良く聞いていて、結婚前に紹介してもらってからも、福岡に帰って来た時は3人で必ず挨拶に行き、柾至もおばあちゃんのように抱っこしてもらったりと、可愛がって頂いていました。私たちが日本に帰ったときも、Fさんの妹さんと一緒にお花を持って来てくれたり、まだ何もなかった頃に食器や寝具まで頂いたこともありました。Fさんとは、直接お話したことはなかったのですが、お互いの話だけは聞いていたのです。最近、Fさんにもいろいろあったばかりで(私も過去に経験したことでした)、この日も涙しながら話していたそうです。どうやらこの偶然の出会いには、龍馬さまも関係していたようです。道場でも、師範から坂本龍馬の話が出ていたらしく、またRさんの名前が龍馬さまとも関係していたので、龍馬さまのことは良く知っていたそうです。それに、その3人が住んでいるのは、私の氏神さまである高宮八幡宮の近く。お見事、技一本!って感じですね。昨日来たばかりなのに、また次々に新しい出会いも起こっていて、兄も目を丸くしていました。

 27日は、早速朝7時からの稽古へ。私がセッションに入っている間は、Mioちゃんとベイサイドに行き、お昼はマナキッチンへ一緒に行って、自然食のおいしいランチ。午後は、またRさんのところへ行っていました。夕方は、市民大学であった天河神社の柿坂宮司の講演へ。私は去年から楽しみにしていたのですが、兄も7月に天河で素晴らしい時間を過ごして、ご縁を頂いていたので、これもすごいタイミングです。この日は満月。宮司のお話は、今の私に関わることがたくさんありました。最初に福岡とのご縁についてお話されていましたが、そこで私たちが翌日行くことになっている宗像大社のことも。宮司は、宗像大社が大好きで、これまでにも何百回も足を運び、毎年5月に行われる神事にも必ず参加しているそうです。
 
 ”政治が変わらなければ、我々が変わらないのではなくて、我々が変わらなければ、政治が変わらない”
 ”どの人が悪くて、その政治家が悪くてとか、そういう問題ではなく、地球自体を癒して行けるのは人間である。地球も悲しんでいることを、みなさんの一人一人が感じ取ること。癒すのは人である。必ず地球は復興出来る。私はそのような感じ方をしております・・・”
 ”みなさんが平和に働けるような働き、現実を実践したものを、どんどん外国に与えて行く任務を、大和民族のまさしく今、問われているところではないか・・それを今、日本で考えて行かなくてはならないのではないか・・・”
 ”魂はいつも煌々と光っている。ただ、自分の精神が濁っている。その精神を浄化して魂に近づいて行き、そして肉体をそこへ近づけていき、健康な肉体を培うことが出来る。”
 ”心の病は、天の気を受ける以外に癒すことは出来ない”
 ”苦しみを苦しみとして受けないでするには、どうしたら良いか・・・。イヤなときはイヤ。苦しいときは苦しいんです、とはっきりと言う。山の中で大声で叫んでもいい。そして、もっと苦しみなさい。すると、そのうちに底につく。そこから這い上がって行く。その過程で神を感じ、生かされていることへの喜びを感じる・・”
 ”自然体に物事を行っていく。与えられるものだけを感謝して受け取って行く”
 ”自分の生活そのものが神と共にある”
 ”自然の鏡を持って、自分を培って生きなさい”
 ”私たちはお互いに喜びを分かち合うしかないのです”

 毎朝唱えているひふみ祝詞のことについても、これは大宇宙の存在、大エネルギーによって、この地球が存在していることを表しているとのこと。アマゾンにもしばらく行かれたことがあるそうです。最後には、私たちが来週行くことになっている背振山が、弁財天さまと非常に所縁のある場所とのお話も。最初から最後まで、シンクロしているお話ばかりでした。自らが飛び込んだ道だそうで、大変な修行もされていると思いますが、それも苦行ではなく、喜びを持ってされているのを感じました。”慢心は惰性に繋がる” とても謙虚で穏やかな口調でお話され、さすが天河神社の宮司さまとして、天から選ばれるだけの方だと思いました。そして、その天河に神縁を頂いたことに感謝しました。

 柿坂宮司の写真です。半田先生と同じ写り方で、これも神界・龍神界からのエネルギーであることがわかりますね。

 このあともまだ続くのですが、長くなりそうなので、また次回にね・・・☆

2月 24日
 17日は、父と一緒に鹿児島の出水に行って来ました。出水には、この時期シベリアから冬を越しに飛来してくる鶴が来ています。父が一度見に行きたいと言っていたので、ツアーを探して申し込みました。そして、その日はちょうど父の誕生日。ささやかな私たちからのプレゼントも兼ねて・・・。途中、湯の児にあるスペイン村にも立ち寄りました。スペイン村と言っても、いくつかのスペイン風の建物があるだけなのですが、その中の雑貨店に入ると、ペルーでみたものも置いてあり懐かしく感じていました。

 近くまで来ると、田畑の中にも一羽二羽と鶴の姿が見え始めました。そして、8000羽にも及ぶ鶴の群れが、目の前に! 感激です。保護するために柵が張られていて、近づけないようにはしていますが、観察センターからは望遠鏡でも見れるようになっていました。一番多いのがナベヅルで、次にクロヅル。その中に目の周りが赤いマナヅルがいます。こんなにたくさんの野生の鶴を見たのは、もちろん初めて。鶴と言えば、すぐに思い出すのが”鶴の恩返し”ですが、私は他にも低学年の頃に巡礼お鶴の話を聞いて、その切ない物語に強く心を奪われていたことを思い出しました。他にも見に来ている人たちは、たくさんいましたが、その中で突然大きな声で叫んで、鶴を脅かして飛び立たせようとしている人がいて、私はショックを受けました。中には物を投げる人もいるそうです。 そのために柵が作られているのでしょうが、私たちが本当に彼らと共存することが出来れば、こんな柵で壁を作る必要もないはず・・・。この隔たりを作っているのは、私たち人間なんだなと思いました。美しく飛んでいる姿を見たいのはわかりますが、彼らも私たちと同じ生命体であることに気づいて欲しい。どの動物とも心で会話出来る、コミュニケーションも取ることが出来ることは、レーネンさんや半田先生のお話でも聞いたばかり。ここで私は、彼らに向かって光りを送ってみました。すると、しばらくしてから数羽の群れがバタバタと一斉に飛び始め、私たちの近くまで飛んできたのです。その後も、彼らに向かって光を送り続け、私たち人間がしてきたことを許して欲しい、本当は、ほとんどの人たちがあなたたちの美しい姿を見たいと思っていることを伝えました。集合時間になって、彼らに別れを告げて帰ろうとすると、今度は一斉に鳴き始めて答えてくれました。私たちこそ、ありがとう☆
 昔から、鶴や亀は長寿の象徴だったり、縁起物として知られていますが、それも何かあってのことでしょう。ちょうど父の誕生日に、こうして見せてあげることが出来たこと、それも私は父への祝福として受け止めました。そして、私も一緒に来れたことに感謝しました。

 23日は、柾至と長崎ランタン祭りです。毎年、この時期に行われているそうですが、たまたまチラシを見たら、思いっきり龍が写っていて、龍踊り(じゃおどり)も行われるということで、それなら行かなくっちゃ!です。(笑) どうやら期間中、この日が最高の人出になるみたいで、同じツアーでも大型バスが5台も出ていて、それが各社から来ているので、とにかく大混雑でした。早目の夕食を取ることになり、駐車場からレストランへそのまま地下から行けるところを、添乗員さんが出口を間違えて階段を上がってしまったことで、平和公園の前に出てきました。
 目の前には、大きな平和の塔。ここもいつか来たいと思っていた。その大きな平和のシンボルの像を思わぬところで見れて感激でした。ほんとに挨拶ぐらいしか出来なかったけれど、また必ずここに来ることと、そのときにしっかりと祈らせて頂くことを約束してきました。それだけでも、長崎に来る意味があったみたいです。

 お祭りの会場は、極彩色のランタンで飾られ、夜になるとそれらがライトアップされて華やかでした。どこを見ても龍ばかり。唐人屋敷の横で、柾至のクロスと同じ緑色の小さな龍グッズを発見。しかも最後の一つ。でも柾至が一番気に入ったのは、龍の文字が入ったリストバンド。(今テニスに夢中なので) 私は、自然の素材で作られた金色の”龍馬”。その名の通り、龍と馬が合体したもので、ちょっと愛嬌のあるお顔。中央にあるメイン会場では、中国の獅子舞。大きなお目目をパチパチさせたカラフルな獅子や、金色の獅子も(まさに金獅子!) 民族音楽に乗って、迫力のある舞を見せてくれました。

 この頃には、もうすごい人だかりになっていて、てんやわんやの大騒ぎ。何万人ぐらい来ているんだろう。こんな人込みの中に入ったのは、何年振りかしら。私はとにかく龍踊りさえ見れたら・・・。その人込みの中を、また二人で走り抜ける。ちょうど今から始まるところ。派手な音楽と共に、上へ下へと踊り出す姿は圧巻!もちろん人間が動かしているのですが、私の位置からは龍の姿しか見えなかったので、本物の龍が踊っているみたいに見える。目の前を通ったときに、しっかり触らせて頂きました。みんなも次の会場まで、龍の後ろから付いて行って追っかけしてました。

 中華街でも会場でも、たくさんの屋台が出ていて、どれもおいしそう〜。 蒸したての栗入りの中国カステラにごま団子、月餅にごまパン、酒饅頭などなど・・・。どれも出来たてでおいしかったです〜♪最後は、雑技団のフィナーレまで見れて、2時間半ぐらいの間でしっかり楽しんできました。集合場所に戻ろうとしたところへ、雨がポツポツ。「これが1時間前なら大変でしたね〜」と添乗員さん。(これだけ龍が揃っていれば、そりゃあ大丈夫です。^^) 何と私たちの添乗員さんは、カンボジアのアンコールワットに行って、帰ってきたばかりとのこと。これだけあるバスの中で・・・またおまけのシンクロで締めくくり。





陶の食器で作られた鳳凰




中国の龍は迫力のお顔・・・でも本当は優しいよ♪


 先日、兄から電話がありました。高知で会った日から、いろいろなことが起こり始めたそうです。柾至の合気道がうまくなっているので、その先生にもいつか会ってみたいと思っていたら、来月その先生が四国に来ることになったり、整体に来た人の両親が、ハーモニーウオーターを付けていることがわかったり。この僅かの間に、次々に動きが始まって驚いていました。セミナーに出たわけでもなく、まだ詳しく説明してもいないのに、あのスプレーで腰の部分に水を吹きかけただけで痛みが和らいだり、改めて水に意識を向けてみて、水の大切さに気づいたと言っていました。兄は、あのときの感動が忘れられず、翌週に姉と一緒に再び桂浜に行ったそうです。龍頭岬に立ったとき、隣にいた姉が、海に紫色の光りが水平線にむかっていくつも走って行き、波間に金が浮かんでいるのを見たそうです。残念ながらそのときの兄にはもう見えなかったそうで、がっかりしていたのですが(一度見せて頂いただけで充分です ^^) それは逆に意味のあることだと教えてくれています。 偶然に見せられることはないのですから。
”第四次元に焦点を合わせられるようになると、人はラベンダー色や紫色の神のオーラーを見始める”  「カミーノ」

 一緒に高知に行った佐賀のI.Aさんには、帰りにすごい浄化が起こったそうです。K.SさんとJRに乗るまでは、お土産を買ったりして普通どおりに元気だったのですが、列車に乗ってからトイレに駆け込み、戻し始めたそうです。乗り換えの駅でも、トイレに行ったり来たりで大変だったと思うのですが、K.Sさんによると、その割には顔色も悪くなくて、荷物も自分で持って移動もちゃんと出来ていたので不思議に思えたそうです。K.Sさんは熊本のセミナーで鼻水が止まらなくなったりと、すでに浄化が起こっていたので、今回は何ともなかったそうです。あの写真を見てもわかるように、セミナー会場には溢れんばかりの高次のエネルギーが降りてきています。そのうえ、彼女たちはアチューンメントを受けて、エネルギー回路が開かれているので、そうでない場合と比べると、エネルギーがスムーズに流れるようになっています。それによって、それぞれに必要なことが起こるのですが、それも本当に必要な分だけ自動的に受け取ることが出来るので、浄化が起こるにしても、余分な負担はかからないようになっています。やはり、I.Aさんも来ることになっていたのですね。
 今の時期(2月から3月にかけて)は、一時的に動きが止まったかのように感じられたり、あるいは今までとは急に流れが変わってしまったように思えることがあります。それは、このあとに来るための準備期間のようなもので、季節で言えば最後の冬の峠を越そうとしている時でもあり、また春に向けての種まきの時でもあります。そのために、浄化が起こることも良くありますが、それも必要なこと。その流れが、自然の流れであり、宇宙の流れに沿っていると思って良いでしょう。そろそろ春の息吹が感じられる頃。あともうひと息ですね。あせることなく、ゆっくり身体も整えて、春の準備をしておきましょうね☆

2月 15日
 8日の夜に、アンコールワットのツアーから帰ってきました。そのかたずけも余韻も残したまま、翌日の朝一番の飛行機で高知のセミナーでした。アンコールワットのツアー中に、9日からの予定のエジプトツアーがキャンセルになったらしいという噂も聞きました。(宇宙の導きに改めて感謝です・・・。) ツアーの報告は、また”聖なる旅”のコーナーで、ゆっくりさせて頂くことにして、ここでは先に高知での報告をしておきます。 

 この高知のセミナーでも、予想以上に様々なことが起こっていました。まず、黒崎のコンサートに一緒に行ったS.Yさん。高知のセミナーに是非行きたいとのことで、飛行機のチケットまで手配していたのですが、同僚のお母さんが入院するなどして、どうしても休みが取れなくなってしまいました。ギリギリまであきらめずに頑張っていたようですが、やるだけやっても駄目なときは、もっと良い機会が用意されていることがあります。それで私は4月の東京セミナーにも行くつもりだからと話すと、その時だったら行けそうな気がするとS.Yさん。そのあと、山田さんから電話があって、1日目のセミナーはもうチケットが完売で、4枚だけは何とか抑えているとのこと。他には、熊本にも来たK.Sさんと黒崎に参加したI.Aさんが来ることになっていて、その電話があった直後に広島のYoshiboさんが来たいとのメール。そう、これでちょうど4人が決まり!ホテルもすでに一杯だったのですが、これもギリギリにキャンセルが出て、全てが整いました。

 高知に着いて、午後のセミナーまで時間があったので、ホテルの近くをブラブラ。ランチを食べようとひろめ市場というところに入って、まず最初に立ち止まったのは芋ケンピのお店。さつまいもを細く切って揚げたもの。私も小さい頃、良く食べていたのですが、どうやら高知が発祥地だったみたい。また四万十川の青海苔味や紫芋など、珍しいのも一杯あり、味見しておいしかったのと、そのお店のおじさんがとてもおもしろい人だったので、早速お土産にGET。他にもいろんなお店が出ていて、どれもおいしそうだったのですが、そこで玄米おかゆのお店を見つけて食べることに。ヘルシーな食事を終えて、自然の甘味のかぼちゃのドーナツもおやつにお持ち帰り。外に出てタクシーを拾おうとしたら、そこでさっきの芋ケンピのおじさんがいて、知り合いのタクシーを呼んでくれて会場へ。

 早目に着いたので、今回も2列目の真ん前の席。ステージも前回よりグレードアップ。最初に半田先生のご挨拶。(お久し振りです〜♪) そして、Aikaさん登場。紫のライトをバックに、鮮やかなピンクがかったオレンジの衣装でまた素敵。今回はカナダの、しかもモントリオール出身のバイオリニストのキャサリンさんも加わり、黒崎でも一緒にステージで踊っていた天使のように可愛いバレリーナのYukaさんも登場。途中で半田先生も出てきて、STSのメッセージを込めた歌も披露していました。AikaさんのCDを買ってから、毎日のように聴いて、セッションでも良くかけていますが、聴くたびに涙がボロボロ。Aikaさんの澄み切った歌声が流れると、たちまち愛で一杯に満たされて、とっても幸せな気持ちになれる。遠隔のときには、そのエネルギーも一緒にお届けしてます♪ コンサートもセミナーも写真撮影は禁止なのですが、私は宇宙から許可をもらって、また写させてもらいました。(^^) (半田先生、STSのみなさん、ご了承くださいね。だって、この素晴らしいエネルギーをみんなにも伝えたいんだもん。) 中には光りで姿・形もわからなくなったり、天使たちまで一緒になって踊っている姿が写ったり・・・。前回よりもさらに光りで溢れていました。大好きな「ハレルヤ」「アヴェマリア」の後は、ラストにみんなで「ふるさと」の合唱。今回もまた感動の涙で幕を閉じました。
 そして、その後は半田先生の講演。聴覚障害者の方たちも来ていたので、隣で手話通訳もありました。最初の挨拶で、今年2回目のセミナーに高知を選んだのは、高知とは高くものを知るところであり、坂本龍馬を代表して、明治改革に一番大きな役割を果たした高知から、大和の思いと高知県の熱い思いを日本と世界に発信したかったと言われていました。

 ”この高知で、みなさんにどうしても送りたかったメッセージは、この21世紀は私たちの時代で終わるのか、それとも私たちの子孫にこの美しい地球を残すのか、その最も大変なところに来ていることを、今日はみなさんに覚えて欲しいのです”

 それはどういう意味を持つかと言うと、去年の3月にオランダで水のフォーラム、環境サミットが行われ、世界から41の国々の科学者が、地球をどのようにして取り戻すのか、環境の破壊をどのようにしたら回復できるのか、一週間かけて真剣な話し合いをしたそうです。そのときに、世界のサミットのデータを見せられて、半田先生は涙が止まらなかったそうです。それは、日本のこの国が出しているデータが一番悲しくて、本当に現実を反映していなくて、今、地球上のどの国の水も、そのデータを見る限りでは安心して飲めないことがわかったからだそうです。実は、このお話をされているとき、半田先生にその時の感情が蘇ってきているのがわかりました。私たちは近いところに座っていたので、そのことに気づきましたが、今回のセミナーで半田先生の地球に対する真剣な想いが、より深く伝わり感動しました。80分にも及ぶ講演中、休むことなくお話をされています。そのエネルギーがどこから来ているのかは、写真にはっきりと表れていますね。

 半田先生も20数年前までは、目の前に存在するものしか信じられない唯物主義でカチカチの科学者だったそうで、その頃は隠しきれないぐらいの大きな円形脱毛がいくつもあって、髪の毛の半分はすでに真っ白だったそうです。それが、年々白髪もなくなり、今では頭は黒々していて、肌はツヤツヤして真っ白、視力もあがってきて、メガネも必要がなくなっています。
 その科学者が本物かどうかは、その人を見ればわかる。その人が本当に生きがいを持ってしているのか、その人の生き様や生きる姿勢はどうか、その人の肌や髪や爪の状態はどうか・・・。ここでも私が思っていたことを、話されていました。そう、本当は一目見れば、真実はすぐにわかるのです。

 ”科学とは、人間に希望と幸せを与えるもの。ところが現代は金儲けと失望を与える、そういう結果にあります。最前線にいればいるほど、それは何とも言えないむなしさとなって跳ね返ってくるのです。
 それを踏み台にして、私たちが何処から来て、何処へ行こうとしているのか、何のために人生があるのか、この辺を進化論から提案したいのです。

・・・いくら対立や抗争をしても、決して進化は出来ない。だから私たちは地球を救う科学を進めるものとして、過去の過ちを指摘するのではなくて、なぜそういう現状が起きたのか、自分の位置を変えて、相手の主張をまず理解することが大事なのです。それを理解して共に進化するように、共に行動することなのです。

 あの人がいるからいけないとかではなく、嫌な人ほど美しく見えるように自分の位置を変えることです。いいじゃないですか、自分の位置をどんなに変えても。どんなに頭を下げても・・・。減るものじゃないです。大切なのは、共に進化することなんです。本来、科学とか政治とか文化は、そういう方向に進めて行くものです。”


 本当の科学者や学者は家庭の主婦である・・・何も難しいことを知る必要はなくて、地球環境蘇生は家庭レベルから出来る、その考え方に基いて、私たちに具体的な最先端のテクノロジーを提供してくれているのがSTSプロジェクトです。開発には決して妥協することが出来ない、いい加減に物を作られると許すことが出来ないと、はっきり言い切る半田先生。妊娠しているブタのお腹をさすりながら、一緒にブタ小屋で一週間過ごしたり、4年近くの間林檎の樹を抱きしめながら毎日語りかけて奇跡を起こしたり、動物や植物たちと直接触れ合い、自然との対話の中で、大自然と生命の偉大さに気づいていったお話も感動的でした。他にも素晴らしいお話はたくさんあるのですが、それも後ほど”地球環境蘇生”のコーナーで、紹介出来たらと思います。

 今回もシンクロの嵐のような二日間でした。福岡から来ていたのは、私たちの他には、知っている限りでは瀬田先生だけでした。それも同じ飛行機で通路を挟んだところにいらしたので気づきました。山田さんは今回来れなかったので、1日目が終わってから真っ直ぐホテルに戻ろうと思っていました。そこで、来る前に山田さんの知り合いで、オーストラリアから来ている夫婦も来るので、わかったら声を掛けてみたら、もしかしたら何か繋がるかも・・・と言われていたことを思い出しました。オーストラリアと聞いて、ピンと来ていたのですが、気づいたときには、みなさんほとんど会場の外へ。あきらめていたところへ、それらしき二人連れが目の前を・・・。またこのお二人が、とても素敵な方たちで、ヒーリングのワークもしているらしく、フィンドホーンから帰ったばかりとか。少し立ち話をしただけですが、名刺交換もして、また会いたいなと思わせてくれる方たちでした。残念ながら2日目は参加出来ないので、帰る前に半田先生に一言挨拶したいと言われたので、私も戻って大阪のスタッフのUさんに尋ねてみました。それでも結局お二人は時間がなかったので、そのまま帰ることになったのですが、Uさんに話し掛けたのがきっかけで、私たちは今夜の打ち上げの食事会に参加出来ることになったのです。もともと二人分は山田さんから聞いていて、用意してくれていたそうなのですが、そこをみんなも一緒に参加出来るようにお願いしました。これでまた半田先生とご一緒出来る〜♪ 

 この日も、見事に澄み切った青空で、南国の土佐らしく暖かい一日でした。この空は熊本のセミナーの時と同じでした。そして、高知城の後ろには夕日がオレンジ色に輝いて、その周りには龍の形をした雲や、天使の羽のような雲も。そう言えば、山田さんも「半田先生が行くところは、空が違う」と言ってました。会場へと向かう途中で、また芋ケンピのおじさんを見つけ、「芋ケンピのおじさ〜ん!」と大きな声で手を振る私に 「お〜!」とにこやかにおじさん。すっかり半日で顔馴染み気分の私たち(笑) そして、薄暗くなった道を、みんなで地図を片手に歩いていたら、今度はさっきのご夫婦とバッタリ!お互いに知らない土地で、また会うなんて。何かを感じさせてくれますね〜。これも、また楽しみにしておきましょう♪

 今回は、ある会館のお部屋を使って、みんなでご苦労様のお食事会。半田先生は後から来て、私たちの真後ろへ。今回も70人近くで、他に顔見知りの人がいなかったので、最初は借りて来た猫状態の私たちでしたが、食後にまた高知の会員の方たちが芋ケンピまで出してくれて、みんなで和気藹々。そこへ、何と半田先生が「ここいいですか?」と私たちの前に!高知の方たちも喜んでいましたが、私たちもびっくり。しかも私の真ん前に座られたので、参ってしまいました。(^^) 

 辛口のお酒にエネルギーを入れたものをお酌してくれたので、普段口にすることのない私でしたが、この時は速やかに頂戴しました(笑)。半田先生は、誰にでもとても親しみやすく接してくれるのですが、私がこの世で最も尊敬している方なので、意識してしまって前にいるとは言え、自分からはとても声を掛けられない状態。(^^; それでも、言葉を交わしていましたが、前に座っているだけで温かいエネルギーがビンビン。Yoshiboさんの手は、熱くなって真っ赤か。今までもそこまで赤くなることはなかったとか・・・。

 一人にメガネを調整してあげると、続けて「私も〜」と周りの人たち。みなさん、良く見えるようになって大喜び。そこで「後でこっそりやり方を教えてあげるね。」と柾至に声を掛けて、「食べ過ぎに少し気をつけるといいね。それぐらいかな・・・後は大丈夫だね。」 そう、柾至は食べる時は結構平気でパクパク食べてしまうのです。でも、チラっと見ただけでそれがわかるのも、すごいですね。
 そのうえ「それ、ちょっと貸してみて。」と柾至のクロスのペンダント(元旦に阿蘇で買った龍が巻きついているエメラルド色の十字架)を手に取ると、「すごいパワーだね。色もいいね。でもちょっと強すぎるかな。」と波動を調整して、キリスト様のエネルギーともっと繋がり易くなるようにしてくれました。(またまた、ありがとうございます♪) すると、先程メガネを調整してもらった方が、「これも・・・」とブレスレットを差し出そうとしたのですが、優しくたしなめられていました。(欲張らないでね) そう言えば、セミナーでもこんなお話をされていました。
 
”病気の相談をされると、どうしたら良いのか悩んでしまうときがあります。人は必要があって病気になるのです。それを私ごときが、その人を助けたい、あるいは人に頼まれることによって、その神の領域にまで踏み込んでやることが、果たして正しいのかどうか。僕はこの科学をやるときに、いつも自問自答しています。”

 それは、私もいつも思っていることでした。何でもしてあげるほうが本当は容易いのです。でもそうすると、結果として本人の為にならないことがあり、せっかく目覚めようとしている力、本来持っているはずの力が出せなくなるかもしれない。そのため、私もヒーリングをするときには、身体に表れているところ、つまり痛みを取ることや、現象として表れていることに焦点を当てるのではなく、その人の魂の部分に光りを送ってあげることを常に考えるようにしているのです。本当に相手のことを考えるとき、ただ闇雲にたくさん与えればいいとは限らない。人間である私たちにはその的確な判断は難しいことがあります。それもあって、私はその人にとって最善な状態を齎してくれるように、常に宇宙と繋がって全てを任せることにしているのです。私が半田先生を尊敬するのは、こうして共感し共鳴するところがたくさんあるからです。そして、本当の優しさや慈愛というものをいつも感じるからです。
コンサートと半田先生の写真です。(3ページ) みなさんは、どう感じられますか?

 2日目のセミナーまでの時間を有効に使おうと、私たちは朝7時にホテルを出ました。3人は、桂浜を見に行くことになりました。私は明日兄と行くことになっていたので、柾至と二人で日曜市に出かけました。どれもこれも手作りでおいしくて、ホッペタが落ちそうだったし、気のいいおじさんはオマケしてくれたり・・・。高知の人は心もあったかいですね。そこでもまた、芋ケンピのおじさんに会ってしまいました。(^^) そのあとは、高知城を散策。この日の会場は、そこから歩いて10分ぐらい。また早目に着いたのでロビーに座って待っていたら、半田先生とスタッフの方たちが入ってきて隣のテーブルへ。(きゃ〜) 3人も桂浜から戻ってきました。タクシーの運転手さんがとてもいい人だったらしく、いろいろ周ってくれたりして、有意義な時間を過ごせたようでした。良かった良かった♪ この日のセミナーは、10時から5時まで。顧問の先生から現場にいるスタッフの方たちを講師として、その長さを感じることもなく、内容も毎回違い、前回よりもさらに充実して、中身の濃いセミナーでした。半田先生のお話も、その場のエネルギーに合わせてお話されるので、その都度勉強になります。終わった頃には、来月の長野も来たいと思ってしまいました。前回と同様に、資料にハーモニーウオーターのボトル、携帯ストロー(口に加えているだけでもいいそうです) にまだ非売品のαUの携帯スプレー(水を入れて、スプレーするだけで波動を変えます。これをもらうために余分にチケットを買う人もいたとか・・・)、 それに加えて今回はビデオテープに、長野で作ったばかりのハーモニーウオーターで作ったドブロクのお酒。これは、まだ発酵を続けていて、時間が経てばどんどんまろやかになるそうです。(相変わらず、気前が良すぎます〜) 
 高知に来たもう一つの目的は、兄にも紹介したいと思っていたからでしたが、9日は神戸で講習があり、この日の午後に高知に着くのがやっとでした。せっかくの機会なのにと私も残念に思っていましたが、それも意味があったようです。終わってからロビーで待っていてくれたのですが、そこで兄は何と高知でお世話になった人とバッタリ会ったのです。その方は、もともとは後輩の先生だったのですが、兄が大きな浄化を迎えていたときに、まだ会ったこともないのに、高知から飛んできてくれて、高知に呼んでくれた人でした。昔、兄と同じ経験をして、そこから目覚めて、今では高知で合気道にこの人ありと言われている方です。私はその頃、いつもその話を聞いていて、高知に来たら紹介したいとずっと言われていたのです。兄が今治に帰ってからは、しばらく会っていなかったそうですが、それがここで会うことになり、兄はとても驚いていました。ロビーで待っていたとき、誰かに会うような気がして、階段の前をじっと見ていたそうです。その方は、この間に体調を崩してしまい、そのときにこの水と出会ったそうでした。それなら兄にも半田先生のお顔だけでも見てもらおうと、もう一度会場に戻りました。そこで、講師の一人だった愛媛で美容院をされているFさんに紹介し、そのあと前日お世話になったUさんに挨拶すると、またびっくり!何とUさんの出身は、私たちと同じ今治だったことがわかったのです。今は西ノ宮にいると聞いて、兄は「今、西ノ宮から来たところなんです!」と、また興奮気味。Uさんも四国には良く行っているからと、名刺を渡してくれました。6月には大阪でセミナーがあると聞いて、是非行かせてもらいますと兄。私は兄には、まだ何の説明もしていなかったのですが、このほんの僅かの間に立て続けに起こったことで、この水には何かあること、何かが始まろうとしていることが自然にわかったようです。セミナーでもらった資料一式とグッズもそっくり渡しておくだけで、もう私が説明する必要もなくなりました。ちょうど来週会う人のために、おいしいお酒でも買って帰ろうと思っていたそうで、それもちゃんと揃ってしまいました。そして、まだオマケがあるのですが・・・私たちが前日にランチを食べたお店は、兄が良く行っていたお店だったのです。高知で自然食のおいしいお店を見つけたとは聞いていましたが、それがそのお店のことだったのです。そのうえ、例の芋ケンピのおじさん。そのおじさんのことも良く知っていて、今治にまで卸しに来ているそうで、兄が高知に来たときに必ず寄るのが、この2件のお店なのだそうです。限られた時間なのに、全く無駄がないというか、宇宙のすることは相変わらずですね。v(^^)v 翌日は、高知から愛媛に向かったのですが、この先にもいろいろなことがあったので、それはこちらの「聖なる旅」のコーナーで紹介しました。


 セミナーから帰ると、また次も行きたいという気持ちが抑えきれなくなっていました。4月の東京は行くつもりでしたが、3月の長野のセミナーへも行くことになりそうです。いえ、もう行くつもりで考えています。兄は前日の神戸の講習のときに、長野の人と親しくなったのだそうです。それで、今は兄も長野に行くことを考えています。そうして、私も長野を意識してみると、日本のピラミッドである皆神山や戸隠神社には、いつか行きたいと思っていたや、喜多郎さんや宮下さんも長野に住んでいることを思い出しました。帰ってから山田さんと電話で話していたら、セミナーの後に一緒に周ろうかという話まで出てきました。考えただけで、すでにワクワクしてきました。何より、半田先生が次の会場を長野に選んでいること自体に、大きな意味があるのですから。それも、きっといつものように為るように為るのでしょう。何があるのか、また今から楽しみです♪