[Diary 159]


Diary 


                                                                                      

                                                    VOL.160

★詳しいレポートは、それぞれの日付からリンクさせた、
ブログのページにあります★

 2008年 8月 ダイジェスト                       
 8月 1日 (日食)
 この日は、新月&日食&神様の日と、3つ重なるスペシャルデー。そのためか、また例によって前日は明け方まで眠ることが出来なかったけど。(^^) 妙見神社の神事も大賑わいで盛り上がり、この日に神様のマントラというのを授けてもらうことにもなった。(!)
 今月は、月食もある。「食というのは、宇宙の見えない扉を開くときで、他の領域に連絡することが可能。」だという。そのために、この時期には出来るだけ身軽にしておいた方が良いとのこと。また、明け方には「新しい種を蒔くように」とのメッセージも。

 この翌日からカナダに行くことになった。それを決めたのは、6月に入った頃。最初は、柾至だけ行かせるつもりだったけれど、ある時に私も行くべきなのだとわかり、急いで手配。夏休みということで、格安チケットは満席ばかり。そこで予定より日程をずらして、この日に出発することになった。そして帰りは、現地で変更することになり、またまた予定よりも延びて11日に帰国。そう、ポータルが開く日になっていたのです。(!)
 
 カナダでも最後の最後まで、いろいろありましたが、詳しいことはまたレポートすることにして。この旅は、私にとっては「癒しと再生」の旅になっていたことがわかったのでした。(2008カナダ編)

 何のための癒しだったかというと、5月の終わり頃から、大きな変革が始まっていたのです。・・・毎年この時期、6月の洗心の頃からスタートして、8月にかけて様々な変化が起こっていたので、心の準備は出来ていた。特に今年は、エジプト帰りということもあり、また4月から幾つかの新しいワークを同時に始めていたこともあって、勢いが今までになく加速しているのも感じていた。そうした状態でのプロセスだったので、身体に現れる影響も大きなものになっていた。

 具体的には、5月の終わり頃に始まった生理が、通算二ヶ月もの間続いていたのです。それも、通常の状態ではなく、3倍ぐらいのエネルギーで。(実際にはそれ以上だったかも) 
 実は、ここ数年・・・確か4年前のプロセスの頃から、この時期(6月)には1ヶ月ほど続くことが起こっていた。生理というのは浄化の一つだけれど、この時期には身体だけでなく、DNAレベルでの浄化として起こっていたのです。最初の内は、大丈夫だろうかと心配もしていたけれど、毎年同じ時期で、その時期が過ぎた頃にはピタっと終わるようになっていたので、今年もそうなのだろうと思っていた。
 
 今年はそれに加えて、夏至の日に無我の体験の後で、谷底アセンションも体験することにもなった。(Diary157) その直前に、ちゃんと止まっていたので、さすが〜!と思っていたら、あの 7月 1日の出来事の後から、またすぐに始まった。それも、さらに勢いが増したような感じで。
 一ヶ月続くだけでも、貧血を起こしそうになっていたのだけれど、その上に今回はあまり食べることも出来なくなっていた。無理して食べて、せいぜい一食分に相当するかどうかの程度。食べ物を消化するためのエネルギーを、他のことに使いたいようで、身体のほうは食べることを要求していなかった。そのことは、私の状態をみた人(霊的なレベルでみれる人)からも伝えてもらっていたけれど、その状態が1週間、2週間〜と続いてくると、さすがに身体に力が入らなくなり、歩くのもキツくなっていた。

 そんな時に、しばらく前に何気に目にしたスピリチュアル系の雑誌の記事が浮かんでいた。その記事には、何年も普通の食事を摂らないで、光とエネルギーだけで生きている女性のことが紹介されていた。それですぐに、その人が書いた本を取り寄せたら、そこには今まさに私に必要なことが書かれていた。(「神々の食べ物」 ジャスムヒーン)

 著者は、地球上から飢えをなくすためのプロジェクトの一つとして、人はプラーナ(光)だけでも生きていられることを紹介している。 飢えは基本的に、「肉体的な飢え」「感情的な飢え」「精神的な飢え」「霊的な飢え」「共同体や地球的な飢え」に分類され、これらの「飢え」がすべて満たされないかぎり、いつも不満を感じることになるという。それとは逆に、意識レベルが高くなればなるほど、光(内なる神)との繋がりが強くなればなるほど、必要なエネルギーは光(神々の食べ物)から受け取ることが出来るので、物質的な食べ物に依存することがなくなってくるということ。
 そして、その道(ライトイーター)を歩むことを望む人のために、その方法も詳しく紹介していた。その最初の段階として、肉食から菜食、菜食から完全菜食、完全菜食から果物、果物から聖なる栄養のプラーナへと移行させていく。具体的には、完全菜食に慣れたら、次に生の食べ物だけを摂り、次に果物だけにし、最終的には水やハーブティーなどのような軽い液体とプラーナだけの摂取へ。
 その間に、三食からニ食、一食へと食べる回数と量を少しずつ減らしていく。これらは、決して急激に進めるのではなく、それぞれの身体の状態に合わせて、ゆっくりと時間を掛けていくことが望ましいと言われている。

 「菜食は、慈悲と優しさの周波数に同調している人にとっては自然な選択である。」とも書かれていたけれど、何を好んで食べているかに、その人のその時の意識の状態がみえるとは、良く耳にすることでもあった。
 例えば、何かに渇望していたり、疲れているときは甘いものが欲しくなったり、攻撃的な人は肉食を好むとか、イライラしていたり欲求不満の状態の人は、辛いものや刺激の強いものを求めるとか。その反対に、心が安定してバランスが保てるようになると、食べ物も薄味であっさりとした中庸のものを求めるようになると・・・。

 私の場合は、小さい頃から肉類が好きではなかったけれど、学校の給食などを通して、好き嫌いはいけないと教え込まれて、無理に口にしていた。(毎日の給食の時間が苦痛だった。^^;) ようやく一人暮らしを始めることが出来たとき、自分で好きなように料理したものを食べることがうれしかった。でも、そこにはまだ食べたいから食べるのではなく、栄養のために、身体のために食べないといけないという観念があった。・・・ただ有難いことに、アルコール類は受け付けることが、ほとんど出来なかったので、付き合いなどで無理して飲んで、細胞を傷つけることはなかった。そのことがわからなかった昔は、お酒の強い人を羨ましく思ったこともあったけど。(^^;

 結婚をして、子供が生まれた時には、家族の身体も考えて、食事にはかなり気を使っていた。特に、カナダに住んでいた頃は、お菓子もほとんど手作りにしていた。(バターや白砂糖などは、一切使わないで) 
 10年前に柾至と二人で日本に帰ってからは、待ってました〜!とばかりに玄米菜食をスタート。その日以来、白米は家で炊いたことがなく、普通の玄米から発芽玄米、そして翌年には酵素玄米へと移行。肉類を扱うことはもちろんなく、好きだった魚介類は月に多くて2回ぐらいまでで、野菜がメイン。
 そうして先に書いたように、7年前にハーモニーウォーターに出会ってから、細胞が別のレベルで変わってくるのを実感し、ライトボディを意識するようになった。そして4年前のプロセスの時に、朝食が必要ないことを知り、ニ食の生活へ。(お昼までは排泄の時間になっているため) それからもどんどん身体が変わってきた。

 去年の春には、身体が求めるままに、ローフード(リビングフード)中心の食生活へ。手作りの野菜や果物のジュースを飲んだり、おかずは生の野菜がメイン。(塩や味噌で発酵させたものなど) そして、菜食よりも果物が中心の果食(フルータリアン)のほうが、もっと良いことを知った。菜食を始めた頃は、果物は身体を冷やすと聞いて控えていたのに、そうではなかったことを知り、小さい頃から果物が大好きだった私は、またうれしくなった♪(へへへ) 
 髪の毛の色も、1〜2年前ぐらいから少しずつ変わっていることに気が付いていたけれど、最近では美容師さんからも「ヘアカラーされたんですか?」と言われるくらいに変化している。それぐらいに、色がどんどん明るくなっている。・・・これはまだ、どういう意味がわからないけど。(^^)
 
 そして今年の春、エジプトへの旅から帰ってから、大きく変わってきた。現地でもあまり食べることが出来なかったけれど、次第にローフードの食事でさえも、口にすることが難しいことが続いた。口の中が腫れたり、喉に仕えて飲み込むのが大変だったり、少し口にしただけでお腹が張って苦しくなったりと、気持ちは食べたいのに、食べるなと言わんばかりの状態になっていた。その中で、激しい生理が延々と続いていたので、その頃はどうしようかと思ったほど。(この間に、布ナプキンを使うようにもなった。^^)
 
 そうして、ようやくこの本に出会って、その意味がわかったのですね。頭では、まだ食べないといけないと思っていても、身体は、魂はその必要がないということを伝えてくれていて、自然とその状態になっていたのです。そして、何よりそれは自分(魂)が望んでいたことで、そのためにハーモニーウォーターから、アポロなどにも出会っていて、ライトボディコースまで作ることになっていたということも。

 これまでにも、何も食べないで生きている人がいることは耳にしていたけれど、それは仙人とか、ヒマラヤに住むヨギのような特別な人たちで、この三次元で生活している私たちのような普通の人間には、無理なことだと思っていた。でもそれも可能なことで、実際に多くのライトイーターがすでに世界中にいるということなのです。
 
 ただ大事なのは、食事の調整だけでは充分ではないということ。(それだと、拒食症に) 正しい経路に同調する準備をしておく必要があり、宇宙エネルギーを活用させながら、聖なる食べ物(太陽エネルギーや自然界のプラーナ)とのアクセスをしっかり接続させた上でのことあり、ハートの純粋さが最も重要であるとして、聖なる愛を放射するための方法なども紹介されている。そして、もっとも素早く向上させる方法は、人生でより多く愛すること。愛こそが、もっとも強力な栄養摂取方法であるからだと・・・。
 また、私がREIKI を受けて、RAINBOW AGE REIKI として、伝授するようになったのは、その根源となる聖なる栄養(光)との回路を繋いでいくためであったことも。

 この道を歩む人には、あらゆる飢えや渇望からの解放のほかに、健康状態を向上させ、精神の明晰さを増し、睡眠の必要性やストレスのレベルを減らすこと、さらには超感覚力、霊聴力、透視能力などの直覚的な能力が増大していくことが挙げられていた。また、その過程の中で、マドンナの周波数の聖なる愛と智恵の経路に同調していくと、聖なる輝きを見せるようになり、聖なる恩寵の流れを引き寄せ、聖なる富と豊かさへのアクセスも可能になってくるなどなど、多くの恩恵がもたらされるということも。

 クリアになればなるほど、感覚が研ぎ澄まされてくるというのは、実感がしやすい。確かに、これまでの過程の中で、魂からの声(内なるメッセージ)は、より具体的に明確に伝わるようになってきたし、エネルギー的にもそうだけれど、味覚も敏感になってきた。
 元々、辛いものや刺激の強いものは、あまり食べなかったけれど、ここ1〜2年前ぐらいから少しの香辛料で、口の中がビリビリと感じるようになってきた。最近では、僅かでもガーリックが入っているものを食べると、食べた後に胸がムカムカするようにもなっている。そういった刺激のあるものは、身体が必要としなくなったようです。出来るだけ、中庸のエネルギーのものということで。
 その意味がわかった今では、敏感だった身体にも感謝出来るようになった。そのおかげで、身体が守られていたのだから。(^^)

 そうして、魂の声に従って、細胞自身もライトボディに向かって行こうとしているみたい。それが、進化の道になっているから。その先で完全なライトイーターになる時が来るのかどうかは別にしても、今の段階においては、物質的な食べ物を楽しむ部分も残しておきたいと思っている。それは身体の栄養のためではなく、周りの人たちと楽しい時間を分かち合うために♪(へへへ)
 実際に、家ではほとんど食べれなかった時でも、神事の後の直会で出されたものは、食べることが出来ていたり・・・もっとも直会で出されるものは神饌なので、神さまの食べ物になっているけれど。(^^) 7月のセミナー後に、みんなでレストランへ入ったときも、普通に食べることが出来ていた。身体は、その必要性もわかっていて、スイッチを入れてくれたのでしょうね。(有難いことです。^^)
 
 マインドの力(思考のコントロール)を強くすれば、何を食べても、自分の身体に必要なものに変換させることが出来るとも書かれていた。 食べたくない時は、聖なる栄養から摂り入れ、口にしたい時には、身体の中で変換させる。また、食べる量が減っても、体重は落とさないようにすることも可能だと。それらも、私が望んでいたこと。(一番理想的かも♪・・・また都合の良いことを。笑)  この時期に、その道が示されたということは、その可能性が開かれていると信じて、これからも磨いていきたい。 聖なる輝きを放つために・・・☆

 この間は、これらの変容のプロセスのために、身体は思うように動かなくなっていた。7月の如意輪寺の祈願祭に参加した頃は、2ヶ月目のピークに達していたのでフラフラ状態だった。・・・おまけに、今年の夏は太陽エネルギーが強くて猛暑だったし。(ふ〜っ) それでも行かなくっちゃと思って、参加していた。駅からお寺までは、ゆっくり歩いて10〜15分以内くらいだけれど、駅に着いたときは足が重いのと暑さで歩けそうになかったので、タクシーで向かっていた。帰りはゆっくり歩いていたけれど、途中で胸も苦しくなって、しばらく立ち止まったりしていた。そんな情けないような状態だったので、そこで受け取った「大吉」のメッセージ (朝日が昇る、大いなる幸運。これまでの努力が実を結ぶ・・・)が、とてもうれしかったのです♪ & 抱きつき観音さまにも癒されました。(^^)

 
 そして予想と期待通りに、マヤの新年が明けたときに、生理もピタっと止まった。(ほ〜っ) ようやく解放された気分。 
 ・・・自分(マインド)で意識していなくても、身体は魂の声を聞いて動いてくれるようになる。そのことをはっきりと意識したのは、2001年の初めてのペルーの旅 だった。それまでの流れであれば、満月の前後に生理になる予定だった。つまり、インカトレールの真っ最中に。もしそうであれば、体力的にもそうだけれど、荷物もなくなっていたし、お風呂も入れないキャンプということもあって、いろいろ大変だったと思う。それが自然と遅れていて、帰りの飛行機に乗ったところで始まったのだった。(!)
 あの頃は、ただ有難いと思っていたけれど、それ以降も海外での「聖なる旅」の時は、重なったことがない。その予定であっても、その時だけは早めに始まって、出発直前には終わっているようになっていた。それも毎回そう! それらのことからも、精神だけでなく、身体ももっと進化させて、アセンションのためには、3つ(身体・精神・魂)のバランスを取っておく必要があるのだと、つくづく感じたのです。

 その流れの中でのカナダへの旅。出発前に、「ゆっくり過ごして、休息すること」というメッセージを受け取ったので、その通りにしていた。すると、これまたピッタリの出来事も。(レポート待っててね) 
 10日後に戻ったところで、出発前にアップさせていたエジプトレポートのシナイ山編が、ちょっとした手違いで消えてしまうハプニング。(!) 時間を掛けていただけにショックだったけれど、もう一度ゆっくり振り返って、まだ消化し切れていなかったほどに、あの時のエネルギーは凄かったことと、それだけ意味のあることだったとわかった。そして、それは今のプロセスに繋がっていることも。

 その頃も、「変容の嵐」という感じで、毎日のように雷雨が続いていた。そして、17日の月食を迎えた。この日は観音さまの日でもあり。カナダでも、普通に歩いているだけで、気を失いそうになったことがあったけれど、如意輪寺でのメッセージを励みにして、ここまで過ごしていた。この頃は、階段や坂がキツイのはもちろん、平坦な道でも5分以上で、足も疲れて息が切れたり、しばらく立っているだけでもフラつくような状態だったから。そんな時に思い出していたのは、生死を彷徨う寸前だった4年前のプロセス(Diary 67)のこと。それに比べたら、まだ自分の足で立てるし、動くことが出来るのだから、これ位はどうってことない、有難いのだと思えていた。

 この日の朝に受け取ったメッセージは、「日常の生活が出来ないほどに、過激なまでの変革が起こっている。絶対の信頼をもって、受け止めること。朝日は、すでに昇っている。」 ・・・やはりそうなのですね〜。もっと早く伝えてくれても良かったけど。(笑) まずは真っ白な状態で、自分で感じて気付くことも必要なので、それまで教えてくれないことが良くあるのです。(ははは) 朝日というのは、やはりシナイ山の日の出ですね。

 そして、さらには「与えられるものを、喜んで受け取ること。受け取ることで、全体のバランスが取れてくる。新しいレベルへと移行し、まもなく動き始める時がくる。今は、ただ受け取るだけで良い。そのことを、自分に許してあげること。」

 それも、カナダに行っているときに、自分で気付いたことだった。何かをしたいと思っても、思うように身体が動かなかったので、周りに頼るしかなかった。それで、柾至や彼の父親に委ねていたのだけれど、それが三人にとっても、却って良い状態を齎していた。
 また、与えられるという面では、具体的なものも続けて差し出されていた。15日の神事の時も、お野菜を一杯もらったし、その日の夜には柾至が、Kちゃん家からお土産として(英彦山)、採れ立てのお野菜を山のように頂いてきて、英彦山神社のお守りの鈴も頂いたり。・・・ありがとうございます〜。
 何しろ、この間に集中して出せるものは、全部出し切ったという感じなので、あとは受け取るだけになったのでしょうね。(うふっ)
 
 この日の午後は、七田眞さんのドキュメンタリー映画の観賞。 言葉だけでなく、実際に実践してきている七田先生からのメッセージは、説得力もある。(内容はブログにて)  
 思えば、七田先生が実現させた、3つの願い(極貧の生活、生死を彷徨う、裏切られる)については、それに近い体験もしていた。
 「とことん体験する」・・・今の段階では、もうここまでが限界と思えるくらいまで体験する。そうすると、もう怖いものもなくなるということ。それは私も感じていた。七田先生とはスケールが違っていても、今までのことを振り返ると、確かにその通りになっている。その体験の連続で、ここまで歩んできている。意識して選択したつもりはなくても、私自身が、私の魂が、そのことを望んでいたからでしょうね。中途半端なことをしていたら、中途半端なままで、そこから次のレベルへと進むことは出来ないから。 

 この月食が明けた翌日には、さらにある人を通して伝えられたことがある。下半身が重くて歩くのが難しくなったのは、血液がその部分に大量に流れて使われているから。(特に足首だったそうです。) それで、貧血のように頭もフラフラしてくる。この後に起こってくることに対応出来るように、身体が準備しているため。それは地球規模で起こることで、その内容については知らなくても良く(恐怖心を与えてしまうことにもなるので)、何が起こったにせよ、その状況に合わせられるようになってくると・・・。
 その話を聞いて、そのためにライトボディを創る必要があるのだと、改めてわかったのです。それは、地球のアセンションで起こるプロセスの為でもあったのですね。
 エジプトから帰ってからは、別の形での肉体の進化(カーボディとして)についても、教えられるようになっていた。それぐらいに、意識だけでなく、あらゆるレベルでの進化が求められているようです。

 その翌週の23日と24日には、夏至の日のワークから続くものとして、3つのゲートを開くことをした。ゆっくりしか立ったり歩いたり出来ない状態で受けるということに、多少の不安はあったけれど、必要であれば身体は動くと信じることにした。すると、その数日前から、少しずつ身体が軽くなってきた。これは、良い感じ♪と思っていたら、その当日の朝、いきなり一番重い状態に戻った。それも準備して、あと10分後には家を出るという頃に突然!
 立とうとしても、全身がフラフラして目も回りそうになった。何で今また急に・・・と自分でも信じられなかった。この状態では、まずガルーダちゃんで行くのも難しかった。これはストップが掛かっているってこと!? 

 でも、その一方で行くべきだ、行かなくっちゃ!という声がする。もう時間も過ぎているから早く決めなくっちゃと焦ってくると、頭で考え始めてしまい、余計にわからなくなってしまった。そこでもう一度冷静になり、宇宙とハイアーセルフに尋ねて、ハッキリとわかる形で示してもらうことにした。どっちにせよ、必ず従うからと宣言して。
 ・・・答えは、GOサインだった。

 フラフラしながらも、ガルーダちゃんでゆっくりと向かった。少し遅刻したけれど、まだ大丈夫だった。 前回に続いて、内容は一切公開出来ないけれど(秘儀のようになっているので)、丸二日間のワークを最後までクリアすることが出来た。(ふ〜っ) 
 後で聞いたら、私が到着したときは、顔色が真っ青だったので、良くここまで来れたというか、その状態で来ようとしたことが凄いと言われた。(ははは) ・・・内なる声には逆らわないようにしているので。(^^)

 そうして終えて、3つのゲートを次々に通り抜けて行く中で、いろいろ気付くこともあった。まず、「私は強くなければいけない」という観念があったことについて。それは、小さい頃からの環境と、過去生からきているものだった。そうして自分で自分に覇気を入れる必要もあったし、人に甘えることが難しい状態でもあったから。・・・それも「飢え」の一つだったのでしょうね。
 REIKI を受けて開かれてから、いろいろな体験をして行く中で、その思いは少しずつ薄れて来たようだけれど(家族や心を許せる人など)、まだ良く知らない第三者に対しては強く残っていた。でも今回のプロセスで、強がることも出来ない状態になって、自分の限界を認め、ありのままの自分、弱い部分を、誰の前であっても素直に曝け出して良いと思えるようになったのです。それが、月食のメッセージにあった、もっと受け取ることでもあると・・・。

 宇宙からのサポートは素直に受け入れられるのに、第三者から受け取ることに、まだ自分では値しないように感じていたことも。その自己価値についても、気付かされることがあった。それで、この二日間の間は、今はもっと癒されたいという身体からの声を、素直に聞くことが出来た。そのおかげで、精神的にも解放されて、とても楽になれた。
 あの朝、そのことに気付くために、また限界体勢(!?)を作ってくれたのでしょうね。「とことん体験」するためにも。(^^)

 26日は、「天地大神祭」になっていた。その舞台となったのは、長野の諏訪。諏訪は、エジプトのアスワンに繋がっているとか。(!) この後のエジプトレポートが、アスワンになっているので、またまた・・・。(ふふふ)

 そして、続く30日と31日(新月)。今月2度目の新月で月末ということもあり、ここで一つ区切りを迎えると感じていた。すると、この流れで広島に行くことになり、その通りのことが起こったのでした。(イエイ!) ・・・この後で詳しくレポートしますので、そちらでね。(宮島 弥山編
  
 そうして、この数ヶ月に渡って、(今の段階で)とことん出せるだけ出してきたところで、三番目の「創造」のゲートも開いた。「落ちるとこまで落ちたら、這い上がるだけ」という谷底アセンションから、「出すだけ出したら、後は入るだけ」となったので、この後が楽しみになってきている私です☆