[Diary 186]


Diary 
                                                                                      

                                                   VOL.187

★詳しいレポートは、それぞれの日付からリンクさせたブログや、
別レポートのページにあります★

 2009年 11月  (前編)                  
 11月 1日
 待ってました、「111」のゲートオープン。春に撒いた種の収穫を刈り取るとき・・・今年の春(春分の日)から始めたことが、一つの形となる。その実りを手にするとき。
 
 妙見神社では、年に一度の大祭。それが珍しく、朝から大雨だった。それまで妙見の神事の時には、雨が降らないことが定説になっていたのに、今年はその逆パターンが続いている。そのことから、表と裏が入れ替わるぐらいに、大きく変わっていることを感じていた。
 この日は、その集大成のようになった。家を出るときは小降りになっていたのに、近づくと雨が激しくなり、風も強くなった。覚悟はしていたものの、ガルーダちゃんで走っていたので、ひえ〜っ!って感じ。こうなったら、とことん「水も滴る良いオンナ」になろうと開き直って走った。(笑) バイク側は水が溜まっているので、滑りそうになりながらも、何とか到着。(ふ〜っ)

 公園内も雨水が溜まっていたので、駐車場で止めて、ふきふきしてから境内へ。神事は、玉串奉納が始まるところだった。(セ〜フ!) この雨にも関わらず、遠方からもたくさんの人が集まっていた。(パチパチ) 年に一度の「収穫と豊饒」を祝うお祭り。 今年は日曜日と重なったこともあり、普段なかなか参加出来ない人も、この日だけは逃せないという感じで。

 人数が多くても、いつものように一人ずつ玉串を挙げさせて頂いて、有難いこと。ちゃんと屋根代わりに、テントで覆ってくれていた。宮司さんから、玉串は「蘇り」の意味があるという話があって、今のテーマにもピッタリだったので「なるほど〜!」。 ふみさんによると、この日は龍神さまが下のほうまで降りているから、これだけの雨が降っているとのことで、またまた納得。 恵みの雨にも感謝☆

 終わった後は、休憩所に避難。その中で、沖縄民謡の奉納が始まった。 久留米からの三人で、三味線には金と銀の龍が。(!) 私は三人の真横に座ることになって、目の前で聴かせて頂くことに。(ほほほ) Yokoちゃんは、真ん前にちょこんと座っていたりして。(ふふふ) 同時に直会も始まったので、パクパク頂きながら。 このアットホームさというか、和やかさが妙見の良いところ。(^^)

 その頃から、雨もほとんど小降りになっていた。拝殿の前では、佐賀グループのお姉さんたちが宮司さんを囲んで、酒盛り状態になっていたり。(本日は無礼講なり〜。^^) みなさんが持ち寄ってくれた御馳走も一杯あって、一年の収穫を祝い、「弥栄、弥栄」で盛り上がる楽しい祭りになった♪ こうして、神々さまのもとで楽しく集まる場があることに、改めて感謝した☆

 参加していた人に、めでたい紅白饅頭まで用意してくれていた。それがそのまま先に帰ってしまった人も多かったようで、その分が私たちに回ってきて、またたくさんもらっちゃったりして。(大御神社の紅白餅状態。笑) さらには、二見ヶ裏の海のお塩を入れたお守りまで。この日のために、一つ一つ手作りで作ってくれたもの。(う〜感激) 大切にします♪
 私はお約束通りに、高千穂の八大龍王社で頂いた茄子を持って行った。(日向 高千穂編) そのために頂いたようなものなので、分ける機会があって良かった。ゆっくりして帰る頃には雨も上がり、最後に瀬織津姫さまの糸結びで使った石を、お祀りすることにした。日向の海に続いて、この小戸の阿波岐原に納めるのが相応しいと思えたから・・・。

 駐車場を出ようとしたところで、太陽が顔を出した。その太陽が開かれた目のように見えていた。朝の大雨が嘘のように、青空が出てきた。 「111」が明けたことを、示すように・・・。

 その後、STSにお買い物に行ったら、またまたお茶にお菓子まで出して頂いたりして。(^^) 家に帰ったところで、また空が変わって雨が降り出していた。・・・ 青空が出ていたのは、あの時だけだったみたい。龍神さまたちが大空を駆け巡られ、今年の祝いの祭りも締めくくられました☆

 11月 3日(満月)
 この日は、急遽さっちゃんからの声掛けで、背振神社の年に一度の火渡り神事(柴灯大護摩供火渡り)に参加することになった。予定は詰まっていたものの、7月にお参りしたときに(Diary179)、火渡りの写真を目にしていたことを思い出し、満月と重なっていたこともあって行くことにした。

 合流場所で40分ほど過ごすことになり、予定より遅くなっていたものの、神社の前に着いたら、山伏さんたちが鳥居をくぐるところだった。(!) その後ろに並ぶように境内に入り、神事のスタート。
 法螺貝の音が、背振の山に響いた。何気なく、この辺りから見ようと思って立ったところが、結界への入り口になっていた。(あらあら) 目の前で結界が開かれ、山伏さんたちが入った。衣には宝満山の名前が入っている。(わ〜!) 

 始まってしばらくしたところで、トンボさんが飛んできて、私に止まった。(!) わ〜い、今度はトンボさんだ〜♪ そのあと、そのトンボさんはすぐ前に立っていた山伏さんに、しばらくの間止まっていた。トンボさんが人に止まるなんて珍しいけど、何しろドラゴンフライだものね〜。(うふふ)

 一通りの儀式が終わり、火が灯されて、中から白い煙がモクモクと出てきた。ゆっくりと渦を巻きながら、立ち昇っていく。龍が舞うように・・・。ここ数年、如意輪寺の神事に参加しているけれど、この瞬間は何度経験しても鳥肌が立ちそうになる。
 参拝者が奉納した護摩木が次々にくべられ、中から炎が出てきた。この頃から、頭がクラクラしてきて立って居られなくなった。ちょっとした貧血状態に。結界の入り口で、パワフル過ぎたかしら。それで社の前へ移動し、そこから眺めることにした。しばらく座って深呼吸したら、次第に落ち着いてきた。(ほっ) 
 炎が勢い良く立ち上がり、不死鳥の姿に見えた。ここでも、やはり現われた。(!) 「蘇り」「再生・復活」の炎となって、飛び立っていく。・・・

 山伏さん達に続き、真言を唱えて祓って頂きながら、私たちも渡っていく。裸足になって、一歩ずつ踏みしめ、世界平和と地球の蘇生を祈りながら。その足は、観音さまの池で洗わせて頂く。これで、私たちの中で「火」と「水」が一体になった。池には太陽の光が射し、小さな噴水に虹が出来ていた。

 参加した全員に火渡りの護符も頂き、終わった後で、新米で作ったおにぎりと付け合わせも振舞われ、地元の人たちと並んで一緒に食べた♪ 龍の棲む背振の山で、弁財天さまが祀られているだけあり、背振神社の神事もかなり本格的でパワフルだった。宝満山からの山伏さんたちも素晴らしく、太宰府のエネルギーも加わり、今年は満月と重なっていたので、もう言うことなし。その上、天候にも恵まれた。
 背振山の山頂に近いので、神事の頃には例年かなり寒くなると聞いていた。おまけに、前の日は北風がビュービュー吹いて、いきなり冬に突入したかのように冷え込んでいた。にも関わらず、この日は一転してピタッと風が止み、春のような陽射しが降り注いで暖かかったのです。(!) ・・・さすがに、火渡りに雨では・・・ね。(^^) 何から何まで、ありがとうございます〜。

 感謝も込めて、和龍の祈りと奉納をして和合して頂いた。何年も前から、ご縁のあった背振の山。ここで一つの形にすることが出来て、私もうれしかった♪

 三瀬まで降りて、お蕎麦屋さんに入ることにした。奥のほうに入った場所だけれど、かなり人気のあるお店のようで、待っている人が多かった。しばらくまったりと待ってから、入ってみてメニューをみると、随分前に紹介されていたのをみて、一度行ってみたいと思っていたお店だったことがわかった。(「木漏れ陽」さん)   やったね! 
 せっかくなので、そば尽くしになっているセットにした。フレッシュなそばの芽ジュースに、そばの芽サラダ、そばの実の雑炊に和え物、そば豆腐にそばゼリーまでが、少しずつ盛られている。もちろん、手打ちの盛り蕎麦も文句なしで大満足♪ ・・・ 他にも、そばクレープなどのメニューもあります。

 そこから大和町に入って、龍宮橋を渡り、豊玉姫さまのところへ。佐賀に来たら、ここには御挨拶しておかないと・・・。車は「9」と「999」ナンバーの間に止めることになった。(ふふふ)
 和龍を納めて入って頂き、御神木のところにお祀り。この日は、二体の精霊さんが、龍宮橋と龍登園の方角を向いていることに気付いた。(ほ〜っ)  
 
 帰る前に、かつみうどんさんにも御挨拶。9月に帰ってからは、この日が初めて。前の日に来ることを決めたとき、エジプトのお祀りに使った石の一つを、ここに預けることが浮かんだ。それで、ピラミッドセットの香油、和龍のトリニティカードと一緒に、アイリスのお皿に載せて、祭壇スペースに置いて頂くことに。
 このお店には、全国から縁のある人たちが、何かに呼ばれるように集まってくる。少し前には、ペルーやアマゾンに関係する人たちも来ていたとか。ここも発信地になっているのでしょうね。それで、トリニティとして和合してもらい、訪れる人たちと分かち合えるように、ここにも納めることになったようです。

 御主人からは、あるものを渡された。黄金色にキラキラ光っている、弥勒菩薩さまの護符。中国では、布袋さま=弥勒菩薩さまということで、蓮の上に座り、金色の後光で輝いて満面の顔で微笑む、布袋さまの姿になっていた。(裏には、般若心経が書かれている。)
 毎年、眞柄さんたちと中国にある、観音さまとお大師さまの聖地に行かれていると聞いていたけれど、それが数日前のことで帰ってきたばかりだったみたい。(それも旧暦の9月9日!) 今年は、数十人ぐらいの希望者がいたのだけれど、最終的に行けたのは8人だけだったとか。・・・わかる気がします。
 現地では、有り得ないこともいろいろ起こっていて、素晴らしい旅になっていた様子。 頂いた護符は、その旅で手にしたもので、他にも、表と裏の両面にお顔がある、布袋さまのストラップになったお守りや、眞柄さんの書で「感謝」と書かれた金色の六芒星のシールまで。 弁財天さまから、大黒さま、恵比寿さまに続く七福神さまとして、布袋さまも勢ぞろいに。(パチパチ)

 ここで、エジプトと中国のエネルギー交換と和合もしちゃったみたい。(うふふ) それで、この満月の日に来ることになったのでしょうね。 最後に、また締めてくれました。(^^)
 みなさんの祈りや働きによって、和合された世界中の神々さまが一つになって、動かれているのですね。 有難いことです。私も、その和(輪)を、もっともっと広げていきたい。自分の出来ることから・・・。ということで、この日の夜の満月ヒーリングは、これらのエネルギーの分かち合いとして、送らせて頂きました☆

  ・・・ 翌週になってから、ようやく気付いたのだけれど、この日にカメラを失くしていたようです。心辺りは探してみたけれど、今でも見つかっていないので、あらあらという感じ。実は、しばらく前から、そろそろカメラも替え時かもと思ったことがあって、少し前にCMを見て気になったものがあったのです。それでも、まだまだカメラとしては十分に使えたので、そのままにしていたけれど、どうやら強制的に持って行かれたようで。(笑)
 私にとってカメラは、光やエネルギーをキャッチして映す役割になっていたので、PCと同じような感じで、変わり目の時には買い換えるようになっているみたい。それもこの日ですから、わかりやすいのだけど。(ふふふ) それで、写真がシェア出来ませんでした。不死鳥もしっかり映っていたので、残念だけど。また次回ということで。

 > この日、伊勢神宮では、宇治橋渡始式が執り行われ、新しい宇治橋が掛けられました。
 
 その翌日の4日は、マイケルの「THIS IS IT」 を観に行った。(レポートは、ブログにて) その昔、「ムーンウォーカー」という映画もあり、何度か観に行ったことがあった。今度の映画は、生のコンサートに匹敵するぐらいに、素晴らしく出来上がっていた。リハーサル風景で、一般には今まであまり表には出て来なかった、マイケルの真実の姿が描かれていた。
 フアンであれば良くわかっていたことでも、、一般には知られていない部分だった。私も残念ながら、この数年はワイドショーぐらいでしか観ていなかった。コンサートもなかったし、あの頃からすると外見も変わってしまい、外側の部分しか見れていなかった。年齢も、50歳を過ぎていた。だから、この映像は衝撃的だった。衰えるどころか、踊りも唄も、もっと洗練されて磨きが掛かっている。いくら天賦の才能があっても、何も努力していなければ、ここまで進化は出来ないはず。
 それに、愛に溢れている彼の精神は、あの頃のままだったことも、ある意味で驚きだった。この間に、信頼していた人たちから裏切られるようなことがあったり、多くの中傷や非難もされ続けていたのに。彼のハートは、あの頃の純粋なままだったのです。

 自分だけでなく、周りのスタッフたちも進化させている。彼の影響を受けて、彼から放たれている光によって・・・。それが映像からも伝わっていた。 私の20代は、彼のフアンだったことで彩られていたことを思い出した。気付かないままに、彼からたくさんの光を受け取っていたのですね。

 > このDiaryを書いているときに、「Earth Song」の和訳付きのプロモがあることを知りました。こちらです。

 95年に発表されてから、これまでにも何度か観ていて、その度に胸を打たれていたけれど、この時には始まった途端に声を上げて泣いてしまった。紹介されていたメルマガに、最後のシーンはキリストが十字架にかけられて、叫んでいるようだとあった。・・・ 改めてみると、その通りにみえた。そして彼が亡くなったときも感じていたけれど(Diary 177)、やはりキリストの贖罪だったのだと思ったのです。彼の人生、特に最期の数年は、そうだったのかもしれない。自らの身体を使い、私たち人間の罪を贖っていたのではと・・・。
 この曲が発表された時は、アメリカではあまり話題にならなかったという。14年が経って、彼の贖罪と引き換えに、ようやく彼のメッセージが受け入れられる時が来たのですね。・・・
 
 ある僧侶の霊視で、マイケルは映画「ゴースト」のように、初めは何が起こったのかわからず、戸惑っていたとのこと。でも今は、天使界にいて、子供たちや天使と一緒に楽しくしているとのことだった。それを聞いて、私もうれしかった♪ 彼は帰るべきところに帰れたのだと、確認させてもらえて。

 これは、2001年のニューヨークでのライブ映像。このパフォーマンスは、思わず鳥肌が立つぐらいに最高に光っています♪ 「Billie Jean (Live in New York 2001)」  あまりに素晴らしすぎて、また泣いちゃったけど。・・・ 観客席のE・テイラーやカルキンくんも、ちらっと映っています。
  
 子供たちを愛し、世界平和を祈り、自然界を慈しみ、地球を癒そうとしていたマイケル。
 「誰かがしてくれるのを、待っていたのではダメなんだ。僕らから始めよう。今がそのとき、今でなければ治せない。今こそ、その時。 THIS IS IT !」

 「HEAL THE WORLD」の和訳付き ライブビデオはこちらに。子供たちに囲まれた笑顔と、優しい歌声に癒されますね。

 11月11日
 この日は去年に続いて、玉さまの八千代座公演に行ってきた。家を出るときには、小さな雨がポツポツ。向かう途中に見えていた山々に、龍が立ち昇るような雲が出ていた。上空は、ある部分の雲だけが開いたようにも・・・。

 山鹿に到着し、例のピザ屋さんへ直行。去年、イタリアへの最初のサインを見せてくれたところ。そのフィレンツエの写真も健在。(当時のレポートへ) Mayumiちゃんとも話していたけれど、あの時はまだ全然行く気などなかったのにね。(ふふふ)

 二人で、二種類のピザを頼んだものの、今回はあまり時間がなくて急いで食べる。やっぱり一皿で良かったかも。(^^; 何とか間に合って入場。
 この日も、花道沿いの最前列。 やったね! 今回は入り口に近くて、一段高くなっていた。 八千代座の観客席は小さいので、どこからでも良く観えると思うけれど、目の前を歩いてくれるので、花道が一番好きなのだ♪

 始まるまで、天井の虹の鳳凰を眺めていた。二対で和合ですね〜。幕が上がって、中央にお座りになった玉さまの姿に、早くもウルウル。第一部は、「口上」。来年が、八千代座100周年。つまり今年は「99」周年で、玉さまの舞台としては、この日が「199」回目になっていたとか。(お〜っ!) 台詞のない口上は苦手と言いながらも、生の玉さまのお話は楽しい♪

   

 第二部の演目は、「京鹿子娘道成寺」。花道からお坊さんたちが登場した後、艶やかなお着物姿の玉さまも。出てきた瞬間に、鳥肌が立った。お美しいのはもちろん、全身から放たれている輝きがすごい。目の前をゆっくりと歩かれ、舞台の手前でしばらく立ち止まって舞う。だから、花道は良い〜♪

 この演目は、女方舞踊の大曲と言われるだけあって、見応えもある。引抜をしながら、何度も衣装替えがあり、楽しませてくれる。舞の技も見事で、艶やかな美しさにも溜息〜。目の保養です。(^^) 最後は、プラチナに光る衣装で登場。そして、白蛇になっちゃった。(!) 諏訪神社の白龍さまを思い出した。(Diary 186) 
 また今年も、見事にシンクロしていた。前回は、天翔獅子の後の「鏡獅子」だった。それもプラチナ キラキラだったけれど、今回もそう。さすが、玉さま&「1111」の日だけあり、今年も観に来るだけのことはあったのでした〜。

 カーテンコールも、感動的だった〜。ウルウルしながら、掌が痛くなるくらいに拍手した。玉さまも年齢を感じさせず、磨きが掛かるばかり。こうでなくっちゃね。(お手本にしよう。^^) 来年も、楽しみだな〜♪
 もう一つシンクロといえば、休憩時間にふらっと覗いた出店で、金ゴマ製品の試食を差し出された。よ〜く手にとってみたら、「ファラオの宝」という名前が。(!?) しかも袋には、上下エジプト統一のレリーフまで。(白ごまあめ)・・・ もちろん買って帰りました。(^^)
 
 出発まで時間があったので、金剛乗寺にお参りし、用意していた和龍のお祀りとお祈り。イチョウの大木さんに、修行大師さま、黄金の如意輪観音さま、ヒンドゥー風の魅力的な観音さまにも御挨拶。

 散策して入ったお店には、大黒さまと恵比寿さまも仲良く。山鹿灯篭のお店では、七色の紐の根付けが目に留まった。小さな鈴も付いていて、根元がマジェンダカラーのものをゲット。ちょうど、この日から新しい財布を使い始めたところで、色も大きさもピッタリ。(うふふ)。 
 ・・・ まだコンディションは良かったのだけど、急に思いついて変えなくっちゃと感じたところで、気に入ったものが出てきた。ライムグリーンから淡いパープルグレイで、二日前に届いていた。(^^)

 そうそう、駐車場の前のお店は、「88」セールということで、「88」の数字がびっしりなんてことも。(ふふふ)  お空には、金色に輝いている雲が、おもしろい形をしていた。(白蛇さんみたい・・・)

 駅からの帰り道では、「41−41」も。この間に入っていたメールで、プラチナコースのことが書かれていた。(ブログにて) 受信した時間が11時台になっていたので、「1111」に2009年(11)も加えちゃうと・・・8桁になっていたりして。(笑) 

   

 そうなのです〜、この日に新 ヴィーナスプロジェクト を公開したのでした。9月の旅を終えてから、バージョンアップすることはわかっていたものの、早くても12月か年明けぐらいかなと思っていた。それが10月1日の日に、「11月11日」と来てしまった。おっとっと〜!ということで、その日から準備を始めることになり、それから具体的なことが示されてきた。
 インスピレーションやサインとして、次々に入ってくるので、それらを形に創り上げて行く。3月の旅を終えて、ヴィーナスプロジェクトを生み出していた時と同じ。その時に原型は出来ているので、その土台を元に新しいものを加えて、一つに統合させるような感じ。

 その間に、水もバージョンアップした。しばらく前から出ていた、「UFO」という製品。80度以上に沸騰させた水に入れることで、低分子の水が出来上がる。オメガWにしたから、もう充分と思っていたけれど、急に気になって購入することになった。
 電気ケトルも用意して、オメガWで作って飲み始めたら、すぐに身体が反応した。オメガWから、さらに低分子になったようで、まずトイレが近くなった。それから、オメガWのお風呂にも加えたり、何にでもオメガUFO水にして使うようにした。
 そして、しばらくしたら例の状態に。それが2週間ちょっとぐらい続き、終わったのが3日の満月の日。(ちょうど神事に参加する直前に) ・・・ 去年、オメガWにしたときは、丸二ヶ月激しい状態で続いていた。 あの時は、さすがにフラフラだったけれど、今回は貧血になる一歩手前で終わった。

 その頃から、また食べるものが変化してきた。それも、昨日まで普通に食べていたのものが、突然のように食べられなくなった。同じことは、これまでも何度もある。基本的には、生の果物と野菜、酵素玄米が中心。ただ調理法や食べ方が変わってくる。毎日ほとんど同じ方法で、それがある一定の期間続いて、終わったら次の方法という感じ。
 今回は、発芽させた大豆で作る全豆乳ヨーグルトや、生玄米ヨーグルト、酵素玄米で作る生甘酒が加わった。それらは全部、オメガUFO水を元にして作っている。そのために必要なツールも購入。・・・ いつかレシピもシェアしますね。(^^)
 たまに食べていた間食も、ほとんどなくなってきた。それも、プロジェクトの準備をするのに夢中になって、食べることを忘れることが多かったからというのもある。それに柾至もいなくなって、私一人になったから、自分のためだけで良くなったから。

 家で用意するものは、どれも消化が早いものばかりで、何かしながら口にすることも良くあるから、これらのメニューは便利。合間を見て仕込んでおいて、食べるときにさっと混ぜ合わせて口にする。それに家に一人でいるときは、別のエネルギーで満たされているようで、あまりお腹も空かないみたいだから。(マイナスエレクトロンの加湿器や空気蘇生器のセラちゃんで充満なり。^^)
 また、普通の食事で、消化のために使われるエネルギーは、フルマラソンをした時と同じぐらいと言われていて、そのエネルギーがセーブされ、他のことに使うことが出来るようにもなっていた。

 以前紹介したように、聖なる源と繋がり、聖なる栄養として食事以外の別のところから受け取れば、食べ物を必要としなくなることがあるという。その道もいずれ目指そうとは思ったものの、やはり外に出たときには、食事を通して周りの人たちと楽しむ機会も残しておきたいと思った。(えへっ)
 だから、家にいる時は別にして、月2回の神事の直会のときや、お出掛け先では、その土地の恵みと作って頂いた人たちに感謝しながら、頂くことにした。それもエネルギー交換になっているから。それで、そうした機会の時には、少し無理をしてでもパクパクと口に入れている。(笑) Y氏も言っていたけれど、食べなくなると、本当に何も食べられなくなってくるので(霊的な拒食として)、もしそれを避けたい場合は、少しずつでも口にしておいたほうが良いと。 それで、三次元との繋がりも保っているような感じ。(^^)

 オメガWにしてから、またUFO水が加わってから、入ってくる情報とエネルギーも、さらに拡大してきた。その情報も、必要なことが必要なときに入ってくるようになっている。と同時に、入れ替えるように不要なものが自動的にクリアにされている感じ。
 そうでないと、この世では情報が氾濫し過ぎていて、却って混乱したり迷うことになる。そのために考えたり、悩んだりすることが、時間とエネルギーの浪費にもなるから。

 その無駄がなくなると、入ったときがその時で、それが必要なのだと感じ、すぐに行動に移すことが出来るので、現実化が速くなる。今回のプロジェクトも、11月11日というデッドラインに間に合わせるために、かなりの集中力が必要だった。時間はいくらあっても足りないくらい。その上、加速する一方なので、同じやり方ではとても出来ない。その分、必然的に方法を変えていかないと、流れに合わせることが難しくなる。水をバージョンアップさせたり、食べる方を変えていくことになったのは、そのためでもあったのですね。
 >画像は、ルイスリカルドファレロ作 「Nymphe」です。
 
 私はA型の気質からなのか、どうしても一つのことをするのに、じっくり時間を掛けてしまうところがある。そこまで拘ってしまう!?と、自分でも突っ込みたくなることも。(^^;  最後の数日間も、本当に間に合うのかとハラハラしたりして。(ははは)
  11日は朝から出掛けることにしていたから、あと一日延ばせればとも思ったけれど、それをしてしまうと全てがズレてくる。たかが一日かもしれないけれど、今回のような場合は決してずらせない。

 第一弾が夏至の日だったように、全ての必要な条件が揃った、その時その瞬間という宇宙のタイミングがある。例え、その意味がわからなかったとしても、この日と示された時には、従うだけの理由があるのですね。それを、自分の都合で変えてしまったりしたら、本来の目的から外れたものになり、それまでしてきたことも無駄になることがあるから。

 そんな時、AOLのステイションで繰り返し流れていたのが、マイケルの We're Almost There .」だった。 「どんなにハードに見えていても、どうか諦めないで。もうすぐそこまで来ている。あとほんの一歩だけなんだ。だから、このままやり続けて!」 そのメッセージが、何度も何度も繰り返され、励ましてくれているのを感じていた。

 そうして、多くのサポートも受け取りながら、何とか間に合わせることが出来た。11日の朝、出掛ける寸前だったので、バスにもギリギリで間に合ったという感じ。(ほほほ) 新しいものを創り出すときは、全身全霊の力を注いで生み出すようなことになるけれど(出産と同じかな〜。^^)、それが眠っていた力を目覚めさせることにもなっているのでしょうね。それも、プロジェクトのテーマである、「創造性の開花」として。

 その間に、入ってきた情報から気付いたこともたくさんあった。再び繋がったケイシーからは、アトランティス時代のこととして、「美の神殿」「犠牲の神殿」も。「犠牲の神殿」では、霊的に進化させるために、血液の浄化がされていた。宇宙の創造エネルギーと一つになることが出来るようにと。 5年前に血液が3分の1になって、生きていることが不思議だと言われたプロセスも、そのためだったのですね。その頃、同じようなことはY氏からも言われていた。血液は、霊的な働きを司っているから、その血液を変換するというのは大変なことなのだと。

 その後も、血液の入れ替えに関することは、何度か続いていた。去年の夏もそう。その間は、普通に歩くことも難しかった。でも、その状態だったからか、「空」の意識を体感することも出来ていた。(Diary160)  
 とはいえ、周りの人たちには、とても同じことはさせたくないと思った。・・・ それは、自分の子供には、出来るだけラクをさせたいという気持ちと同じかも。その代わりに、もっと別の方法を見つけたかった。もっと心地良く、スムーズな方法で。それを創り出して提供するのが、私の役割のように感じていた。

 そして、9月の旅で出会ったのが、アトランティスに繋がる香油だった。これまでのプロセスも、今のこの時のためだったと思える。それらの香油を元に、、ヴィーナスエッセンスチャクラオイルが誕生することになり、私が望んでいた目的に相応しいものになったから。

 また、それぞれの香油をオメガWで処理することにも、ちゃんと意味があったことが今回わかった。光を加えた香りを運ぶために、媒体として水が必要だったということで。それも、宇宙の天文学的な情報とエネルギーを伝える、オメガWでしか出来ないことだった。
 「香りによって、松果体が活性化する。」(ライトボディ Page 2に) 無意識に感じるままにしていたけれど、もっと深い意味があったのですね。

 これまで、第三者から直接伝えられたメッセージの中で、一番古いのがアトランティスの時代だったことも思い出した。(30万年前というのも、あるようだけど!?)  7年も前だったので、その頃はあまり実感がなかったように思える。(リーディング Part 3) その中にあったこととして、意識するだけで降ろせるということを、もっと信頼したいと思った。
 また、私に出来ることとすれば、これといった技術も備わっていないので、自分の身体を使うしかないということもあるのでしょう。何しろ、手先もかなり不器用で、運動神経も未発達ですから。(^^; そのために、振動数を上げながら、ライトボディとして進化させて行く必要がある。そうすると、その進化に合わせた光が降りてくるようになり、その光を放つことが出来るようになるから。

 ヴィーナスエッセンスチャクラオイル誕生のプロセスがそうだったように、何をするにせよ一人で出来ることは何もなく、宇宙や高次の存在たちや、この世で周りにいる人たちとエネルギー交換をしながら、互いに分かち合い助け合っていくこと。そうして、三位一体(トリニティ)になって、初めて出来ることだった。

 自分一人のためだけでは出来ないことも、(愛による)何かの目的が加わることで、新しい力も生まれてくる。血縁だけでなく、縁があって繋がっている人たちは、みんな愛おしく思える。それぞれが可愛い子供であったり、魂の家族のように感じられる。それは母親のような思いでもある。地球はもちろんだけど、その人たちの為にも、出来ることは出来るだけして行きたい。ただ欲しがるものをそのまま与えるのではなく、成長のためには何が一番ベストなのかを考えながら。
 それも、不器用で未熟なことから、時に行き過ぎたり、うまく伝えられないことも多い。(^^; だからこそ、もっと成長して進化したいと思う。

 ちょうど目にした占星術のページには、こんなことが書かれていた。
 「蟹座は、何かを愛するとなったら、際限もなく愛する星座です。労力も時間もお金も何もかも、いくらでも惜しみなくつぎ込んでしまいます。さらに、あとでその関係が解消したときも、つぎ込んだ大量の人生を惜しんだりはしません。そのくらい、大きく愛してしまうのが蟹座の心です。・・・」

 それが本質の一部としてあるならば、そのまま諦めて・・・いえ受け入れて(笑)、むしろそうあるように意識して、歩んで行きたいと思います☆