[Diary 66]


Diary 




                          VOL.67

特別編   Part 1               
大変長らくお待たせしました。
一気に書き上げたので、読みにくいかもしれませんが、ご了承くださいね。この間に起こったこと全てを書くことは出来ませんが、私が体験し、気付いたことの一部でもシェア出来たらなと思います。(Part 10まで、ありますよ〜)
では、スペシャルバージョンで、お届けします。(^^)

 最初に体調に変化が表れ始めたのは、6月の下旬から。その頃は体重が落ちたくらいで、特に気にしていなかった。それが、7月に入ってすぐに、首が回りにくくなり、寝返りを打てなくなってきた。
7月 7日
 大好きな七夕の日。
オーストラリアから、Tomokoさんがマスターコースを受けに来た。Tomokoさんは、遠隔でワークショップを受けている。この日が、初のご対面! でも初めて会うとは思えない。数年前からアチューンメントを通して繋がっていたし、さらに遡れば、遠い遠い過去からのご縁だから。「その時は私が男で、報われない愛でMiyukiさんに片思いしていたみたい。(笑)」とTomokoさん。同じく遠隔を受けた岩手のMinakoさんと、スペインのMichiyoさんとも、これまた不思議な縁で知り合っている。三人は去年ご対面を果たし、過去生で一緒だったと、それぞれに感じたそうです。
夜は、雷がゴロゴロピカピカ。七夕のお祝いだ〜。

 翌日は、マスターのアチューンメント。太い柱が入った感じがしたとのこと。最後なので私に手を当ててもらったら、すごく気持ち良かった。新しいマスターの誕生おめでとう!

 7月9日の夜半、ふと目が覚めた。目の前に突然、真っ白な閃光が降りたと同時に、バキバキバキッと天地を揺るがすような轟音が響いた! その音に驚いて、思わず叫んでしまった。雷だった。正面のガラス窓をスクリーンとして見せられた。でもこれまで見た稲妻とは違う。その光は、白龍が舞い降りたようでもあり、神の光が降ろされたかのよう。しばらく心臓がバクバクしていた。一度寝たら朝まで熟睡している柾至も、この雷光を見たという。ほんの数秒前に突然目が覚めたそうだ。この後、何かが始まろうとしている。この首の痛みと関係があるのかな・・・。
その夜は、ペルーの夢をみていた。(しあわせ♪)

 翌日、ある人に首の症状を診てもらうと、背骨の歪みを自動的に調整しているようだと言われた。その数日後、右の腰から付け根がだるくなり、痛みを感じるようになってきた。20代の時に、一度右の腰を痛めたことがあるので、それを調整しているのだろうと思った。仕事の合間に、ストレッチや体操をしてほぐし、落ち着くまで外出を控えることにした。
右側のお腹が、時々痛くなってきた。近くに買い物に行ったら、自転車に乗る時にも足が上がりにくくなってきた。途中で心臓がドキドキし、立っていられなくてフラフラ。何とか家まで帰れるように祈った。ふ〜っ危なかった。

7月15日
 待ちに待った九州支局の開設日。
神様の日にオープン。昼間に、突然雨が降り始め、雷が鳴っていた。おめでとう〜!
 龍神さまも、お祝いしてくれているみたいね。これからが楽しみ♪ 朝から、たくさんの人たちが訪れていたそうで、山田さん達は大忙しだったみたい。私も、落ち着いたら早く行きたいな。
 この頃にはだんだん歩くのが、きつくなってきた。

7月18日(新月)
 昨夜は、お腹が痛くてたまらなかった。新月のお祀りを終え、メッセージを尋ねた。
「自己革命・今までの不自然な状態から全てを解き放ち、脱出する。もっと自由になるために。全てを受け入れるだけで良い。新たな展開が始まり、それは自然に起こってくる。・・・」

エンジェルカードを引くと、「Omega」のカード。まあ、究極のカード! いきなり「おめでとう!」に、「勝利!」のメッセージ。 「いま起こっていることへの疑いも放つこと。起こるべくして、起こっている・・・。」
了解しました。全面的に信頼して受け入れます。

 この後から、症状がどんどん進んでくる。夜には汗びっしょりになり、あまり眠ることが出来ない。右足が伸びなくなり、少し立てるものの、数歩歩いただけで座りたくなる。25日のセミナーが近づいてくる。何とか、その日までに歩けるようにしないと・・・。
 毎日、夕方になると高い熱が出ていた。体温計も壊れてしまった。それから次第に、一日中熱が出るようになってきた。当然、食欲はない。何とか食べようとするけれど、食べれない。無理して食べても吐いてしまうか、お腹が張って苦しくなってしまう。(食べるなってことなのよね) 一体、どれだけ体重が落ちたのだろう。体重計に乗るのもきつくなったので、もうわからない。蘇生塩を加えたSPの水だけは、たくさん飲んでいる。歩けなくても、お風呂にだけは毎日入るようにしていた。すると痛みも和らぎ、エネルギーが蘇るようだった。だから、その後の遠隔ヒーリングも予定通りに出来ていた。
 首は相変わらず動きにくく、一度横になると動けなくなって、起き上がるのに汗びっしょりになる。足の付け根の痛みが、次第に増してくる。身体中が熱くて、痺れる感じ。(あまりにきつくて、夜中に起き上がって、思わず泣いてしまったことも・・・。)もう自分では、どうしようもないところまできていた。

7月24日
 午前中のセッションを終えた後(まだ仕事をしている私。^^;)、柾至に支えてもらいながら、這うようにタクシーに乗った。仙骨の状態を診てもらうと、いま起こっていることは今世のものではない。それは、もうクリアになっている。もっと古くからのもの、遺伝子レベルのものを変えようとしていると言われた。
 今日は、マヤ暦の大晦日。明日は、いよいよセミナーの日。まだ希望は捨ててなかった。どこかで奇跡を期待していた。この日受け取ったメッセージは、「全てを明渡すこと。執着していることを手放しなさい。」

7月25日
 目が覚めて起き上がったら、さっと立って歩いていることを夢みていた。でも、現実は・・・。
それでもギリギリまで、何とかしようとしていた。何もしないで、あきらめることは出来ないから。出来る限りの最善を尽くし、それでもダメなら、そのときは手放す。昨日のメッセージは、このことだったのかもと思い始めた。

 福岡に支局が出来るのを、ずっと楽しみに待っていた。その記念すべきセミナーだった。そのセミナーに、参加出来ないだなんて・・・。自分でも信じられなかった。熱や痛みだけだったら、参加していた。でも、この時の私は立ち上がって、歩くことが出来なかった。セミナー会場で会う約束をしていた人たちに連絡を取り、みほちゃんに電話してフォローを頼んだ。申し訳ない気持ちで一杯だった。残念というより、その約束と自分の役割を果たせなかったことが悲しかった。次第に増す痛みや熱よりも、この現実を受け入れることが辛かった。それくらい私にとって、このプロジェクトは大切なものとなっていた。名前の使命そのままに・・・。
 マヤのプラスワンの日。一年の特別な日に、私の中で何が起ころうとしているのか・・・。

7月26日
 マヤの新年の日。
この日の夜、ズキズキと響く痛みに我慢出来なくなり、悲鳴をあげていた。「もう〜、何とかして〜。この痛みが取れるなら、病院でも何でも行くから〜。」 首の痛みがひどかった時に買って、そのままにしていた座薬の鎮痛剤を半分だけ使った。
しばらくして少し眠ることが出来た。4時前に目が覚めた時は、まだ薬が効いていたので、メールのレスを送ったりしていた。
 お昼過ぎから、突然雨が降り出し、強い風が吹き、雷が鳴り続けていた。