[聖なる旅]


聖なる旅 



京都 鞍馬 編




2008.12.13〜12.14

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 12月 13日(満月)
 まずは、この旅の経緯として・・・9月に糸島に行ったときのこと。(糸島 結び編) 「白糸の滝の前で瞑想していたとき、鞍馬山のことが浮かんでいた。鞍馬は、2002年に訪れたことがある。もう一度行きたいとは思っていたけれど、もしかして今呼ばれているのかもしれない。そう感じていたところに、柾至から義経の話が出てきた。(!) その昔、義経とも何らかの縁があると感じていたことがあり、いつか鞍馬に戻るときは、柾至も一緒にと思っていたので、ここで繋がった。
 さらに続いて、9月の終わりに愛媛に行ったときのこと。紫の光からのメッセージが、サナートクマラだったことがわかった。(Diary163) 呼ばれている・・・そのことに間違いはないと確信した。鞍馬でのウオーキングツアーも出ていた。それに便乗するのが、一番安くてラクではある。でも、そのツアーは参加人数が少なくて催行していなかった。ということは、やはり自分たちだけで行けということ。

 その時期を考えていたところで、柾至のTOFELの試験の話が出てきた。年内に受ける予定だったけれど、早くも福岡近郊の会場は予約で一杯だった。関西方面の会場なら空いていると聞いたときに、ピンと響いた。(!) その時だと・・・。それがこの日になり、まずは試験の申し込みを完了。それから、ホテルパックを利用することに。
 その手配をしているところで、10月に八代へ。その帰りに、龍馬会のお店に行くことになった。そこで京都の龍馬のお墓の話が出た。それまで、お墓そのものには興味がなかったけれど、当時は土葬だったので、龍馬のDNAがそこに残っていると聞いて鳥肌が立った。(ブログにて)

 大阪での試験に、龍馬のお墓参り、鞍馬への訪問が可能かどうかチェック。何とか出来そうなことがわかり、プラン決定なり。(めでたし、めでたし) さらに、手配も全て完了した後で最後の一押しとして、11月15日の命日に山田さんが龍馬のお墓参りに行って、その後で鞍馬に行ってきたとの話を聞いた。(ちゃんちゃん)

 出発が近づいてきたところで、この日が今年最後で最大の満月になることと、宇宙ではグランドクロスが形成されて、変革とミラクルの起こる大事な日であることがわかった。おまけに、高熱を出した直後に弥山に行くことになり、ガタブル アセンションを終えたばかり。(秋の宮島 弥山編) 大抵のことは慣れているとはいえ、この流れで何がどう起こるのか、ドキドキしながらの出発になった。 ・・・ここまでが、すでに長い。(笑)

 前日の夜遅くまで、移動手段の下調べをしていた。少しでも良く眠っておこうと思ったのに、満月パワーのせいか頭が冴えて、ほとんど眠れず。始発のフライトなので、夜明け前に家を出た。タクシーの中から、満月が煌々と輝いているのが見えていた。

 昇り始めた朝日に見送られながら、空へと飛び立った。途中で、瀬戸大橋が見えてきた。私の生まれ故郷から石鎚山と、四国の上空を飛んで、この後に繋がる高知も。(写真右)大鳴門橋に淡路島もバッチリ。
 そのときに、「火と水のアセンションは、火水(かみ=神)として、内なる神性を高めることでもあり。」という言葉が浮かんでいた。・・・弥山のガタブルアセンションの、もう一つの意味でした。


 予定よりも遅れて到着したので、ちょっと焦ったけれど、その後の乗り継ぎしながらの移動は、全て時間通りになった。これが一つでも乗り遅れると、試験開始の時間にギリギリになるところだった。第一の目的は試験だったので、念のために前の日の夜から入ることも考えたけれど、その必要はないとの示しがあり、必ず間に合うと信頼することにしたのだった。・・・とはいえ、まだ以前のように、早足で歩くことが出来なかったので、ドキドキものだったのです。(^^;

 駅で別れて、彼は試験会場へ。その間、駅に隣接しているホテルで、のんびりと時間を潰すことにした。クラシックの音楽が流れる中で、ロビーのソファに座って、持ってきた本を読んでいた。その本は、しばらく前から借りていたけれど、まだ読む時間がなかった。読み始めたら、響いてくることが次々に出てくる。メモに取りながら、夢中になって読んだ。
 お昼頃になって、ホテル内のデリカフェで、サンドイッチや出来たてパンを頂きながら、しばらくティータイム。その後は、またロビーに戻って、時間まで読書タイム。4時間半ほどの時間が退屈することなく、のんびりリラックスして、とても充実した時間が過ごせることになった。こんな時間は、しばらく取れなかったので、とても貴重だった。今の私には、必要だったみたい。

 その著書の中からのメッセージをシェアすると・・・(一部要約して)

 ” 自分の影の部分をみようともせず、遠い空の上ばかり見ているような人は、足元がフラフラで、光の世界に自らの足で歩み入ることなど到底できない。”

 ” 自分の魂の目的に気づかず、らくに生き延びることだけを追求している人生の方が、よっぽど悲しい。
 必要なのは知識だけでなく、いかにそれを実行に移せるか・・・知識を持ち合わせていないよりも、知りながら行動に移さない者のほうが、どれほど愚か者か。”


 ” (今の人間たちの多くは) 生命のない水を飲み、体内の水路を汚染させ、本来持っていた感覚を自らの手でせき止めている。”

 ” 人間に与えられた仕事は、粗いものを繊細なものに変えて、宇宙に返すこと。”

 ” この宇宙に存在する限り、自分の魂を進化させて、より多くの歓びと感謝の波動を宇宙に変換することが重要である。”


 ” 「22を超える」とは、今までの限界を超えること。時空を超えて、他の時間領域へとタイムとラベルすることでもある。”

 ” 高みを目指せば目指すほど、次なる頂きが聳えている。”

 ” 宇宙と地球を結ぶ架け橋になり、異なる二つの力を統合したとき、もう一つのゼロポイントが生まれる。「時間の輪」と「光の輪」を等しくすれば、時空を超えることができる。”

 ” ゼロとは空のこと。何もないという意味ではなく、多くの物質に満ち溢れている、全てを内包しているという意味。多様性に満ちた次元こそが、ゼロ次元。”

 ” ピラミッドは、巨大磁石のように、惑星の軌道を守っている。”

 この著書(「22を超えてゆけ」)の続編に、エジプトレポートで紹介した「生命の鍵ーアンク」のことが書かれていたのです。(エジプト編 Page9)  最後のページには、このようなことも書かれていた。

 ” 地底から青い龍があらわれ、天にむかい、天空から黄金の龍があらわれ、地上へとむかう。光と闇の力を束ねることができる者のみが、新たな道を見つけることができるだろう。
 ライオンの知恵とライオンの勇気を持つ者のみが、光の道を歩み続けることができるだろう。二つの力が等しくなったとき、太陽の国への扉が開かれる。そのとき目醒めている者のみが、太陽の国へと、自らの足で歩み入ることができるのだ・・・。”

 
 ” 時空を超え、多次元の世界へと旅立とう。たとえ道なき道であっても。かつて自分が築いた意志を見つけるために。自らの手で封印した未来を開くために。そして、わたしたちは最後まで決して諦めない。自分の意志を信じて、強い遺志を信じて。・・・”

 この一番最後の部分には、今度のエジプトの旅の意味と繋がるものがあった。そのために用意された旅になっているから・・・。

 TOFELを終えた柾至と、駅で合流。(おつかれ〜) さあ、これからはお楽しみだよ♪ 良いタイミングで特急にも乗れて、京都へ入った。ホテルで荷物だけ預けて、そのままタクシーで霊山護国神社へ。

 この神社には、明治維新の誕生に尽くした1000名以上の志士たちが祀られている。ご祭神は菊理媛神・速玉男命・事解男命。境内に入ってすぐに、社務所の龍馬ちゃんグッズが目に入る。(きゃっ) その前に、お参りしておかなくっちゃ。(^^;

 拝殿の前に立って、亡くなった志士たちに祈りを捧げていたら、胸が込み上げてきた。思わず、声を上げて泣きそうになったほど。当時の思いが蘇ってきたのかもしれない・・・。
 彼らの熱い思いが、再び伝わってくる。私の名前のなかに、地球の蘇生と共に、「日本のために働きたい」という使命が入っていた。それは生まれる前に、自分でプログラミングしてきたことだった。
 まだまだ力不足で、何をどこまで出来るのかわからないけれど、まずは自分の出来ることを、示されたことに一つ一つ最善を尽くして行く。そうして、最大限に発揮出来るように、これからも眠っている力を目覚めさせ、開いていきながら進化させて行く。そのことを、ここで改めて宣言していた。


 いよいよ龍馬のお墓へ。ゆっくり石段を昇っていると、また自然と涙が出てきた。・・・アセンションする毎に、ますます繊細になっているみたい。
 石版に書かれている、龍馬ちゃんへのメッセージに、またうるうる。命日の龍馬祭に訪れていた山田さんも言っていた。次々に絶えることなく訪れる人たちをみて、龍馬は今でもこんなに多くの人に愛されていることがわかって感動したと・・・。 そのみんなの思いも、一緒に伝わってきたからかもしれない。・・・この日も、次々に参拝する人が訪れていました。


 お墓は、中岡慎太郎さんと仲良く並んで建っていた。龍馬ちゃんの存在(御霊)は、いつも身近に感じられたけれど、彼の遺体がここに眠っていると思うと、たまらないものがある。こうして、ちゃんと墓前の前に立って、手を合わせることが出来て良かった。やっぱりここまで来て良かったと、つくづく思った。その龍馬ちゃんへの思いを改めて伝えながら、お祈りを終えたところで、葉っぱが目の前に、ポロッポロッと続けて落ちてきた。(!) ・・・龍馬ちゃん。応えてくれたのを感じて、またじ〜んときた。
 柾至も時間を掛けてお参りしていた。二人で一緒に、お参り出来て良かった。


 お墓の脇には、二人の小さな銅像もある。その上を昇って行くと、他の志士たちのお墓が建っている。三味線の晋さんこと、高杉晋作のお墓もあった。
 その上には、桂小五郎(木戸孝允)と妻である幾松のお墓も、仲良く並んでいた。この二人は、混乱の時代であっても、めでたく結ばれて幸せな生涯を送ったと言われている。お墓の上に咲いていた花が、その満ち足りた人生を表しているように感じた。


 最後にもう一度、龍馬ちゃんたちの墓前に御挨拶。柾至は、ジャケットの下に龍馬(&金龍)のTシャツを着ていた。
 ここからは、京都の町が見渡せていた。彼らは、今でも日本の新しい夜明けを祈りながら、この空を見つめているのでしょう。微力ながら、私たちもその力をお借りして、出来ることをやって行きますね。


 すぐ下にある「昭和の杜」の池には、二体の向かい合った龍もいた。まだ紅葉も、少し残っている。柾至は、龍馬ちゃんのメッセージとイラストが描かれたカレンダーを手にした。私は、またすぐに高知で会えるので、そのときにね♪ (うふっ)



 維新の道の坂を下りていくと、横道に入ったところにお店が並んでいた。夕暮れで風情も良い感じ。みたらし団子の良い匂いもしてきたよ。どうやら有名なお店みたい。お先に、下ごしらえしておこう。アツアツとろ〜りの餡に黄な粉も付いていて、おいしかった〜♪


 和風雑貨のお土産屋さんで、私は名刺入れなどをゲット。柾至は、Kちゃんへのお土産を。(^^) 
 お腹も空いたところで、お食事タイム。和風の造りでジャズが流れている、静かで品の良いお店。私は、湯葉の入った卵とじうどん。麺が細身で薄味の出し汁が、ちょうど良い感じ。柾至は、「維新」と名付けられている、にしんの入ったうどんを。それがまたおいしかったらしい。・・・ここで、弥山の続きとして、柾至が将来の夢や進路について話していた。(お〜、やっぱりそう来たか!)

 まだ6時ぐらいだったけれど、外はすでに真っ暗。タクシーでホテルに戻って、お部屋でゆっくり。朝が早かったので、夜はのんびりすることに。ふとテレビを付けたら、イタリアのフィレンツエが紹介されていた。(!) おっと、出たよ〜! 美術館の素晴らしい絵画も紹介されていて、「ルネッサンス」という言葉が何度も響いてきた。そうルネッサンスって、「復興・再生」の意味だったのよね。・・・イタリアに行く意味が、またここでも。(うふふ)
 その後は、満月ヒーリング。今回は、またパワフルよ〜♪ さあ、明日はまたちょっぴりドキドキで〜す☆