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聖なる旅 



 春の宮島 弥山 編



2010.4.4
                         
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 4月 4日(後編)
 石段を昇って、三鬼堂へ。虚空菩薩さまの化身、大日如来さまの化身、不動明王さまの化身である三鬼神と、全国の天狗さん達にお祈り。「和」の光を送っていると、一陣の風が吹いてきた。天狗さんが、大きな団扇で風を吹かせているビジョンが浮かんだ。・・・ 鞍馬でも、天狗さんの存在を感じたことがあったけれど(鞍馬編 Page 2)、初めて参拝した後は、天狗さんの雲が現れていたね。(宮島弥山編 Page2) そう思いながら空を見上げると、また上空では凄いことになっていた。(!)  一枚の写真には、納まらないよう〜。

   

 この時間になると暑くなって、汗ばんできたのでジャケットを脱いだ。 観音堂と文殊堂にも御挨拶して、さらに上って行く。やった、不動岩とくぐり岩が出て来た。不動明王さまと毘沙門天さまに御挨拶してから、一息ついて深呼吸。お空は、ますます力強くなっているよ。太陽神が、両手を広げて立っているのが見えた。お顔までくっきり浮かび上がっている!  さあ、準備はOKだよね、今から次の岩戸をくぐっちゃお〜。

   

 そして、頂上へ到着。(イエ〜イ!) 石碑の中に、「和」の光を納めておいた。上空では女神たちが乱舞しながら、お祝いしているかのよう♪

   

 神さまが鎮座する磐座石の上に、一羽の鳥が止まっていて、こっちを見ているように感じた。そう、この岩のところでも、スルスルとツタンカーメンが出て来たのよね。ここで、その頂上岩に両手と額をつけて、エジプトとペルーの融合&和合を祈りながら、二人で光を送った。

   

 思ったよりも、頂上は人が少なかった。一緒に写真を撮ってもらったところで、また鹿ちゃんが出て来たよ。 わ〜い♪ 思わず駆け寄る私たち。そこに、さっき岩の上に止まっていたと思われる、カラスさんがやってきて仲良く並んだり。・・・ ここでのカラスさんは、天狗さんのお使いになっていたのでした。(^^) ということは、神のお使いである鹿さんとぺアね。 さらに、もう一頭の鹿も現れてきた。(きゃっ) さすが、恋人の聖地になった弥山。(笑) 

 展望台に上がって、海を眺めていた。絶景の景色が広がっている。小さな三角の島は、ピラミッド島みたい。(ふふふ)

   

 ここで、もう一つすることをしておかないと・・・。少し下った岩の影を見つけて、火と水を使った「和」の儀式をした。それも目的の一つだった。「今、何時になってる?」 おっと〜、もうすぐ15時になるところだった。ある意味では、ピッタリ予定通り・・・もしスタートが一時間遅れていなければ。(ははは) そう、最初の予定では、14時に頂上に着くのを考えていたから。それで、大聖院ルートから降りるとなると、普通に考えたら間に合う時間ではなかった。せめて、あと30分でもあれば、何とかなりそうなのだけど。

 もう一つのオプションとして、来た道を戻ってロープウエイで降りるという方法もある。ここで選択と決断が大事になる。それも考えている暇はないから、瞬時に決めないといけない。頂上での目的は、果たせた。でも、その後のことは・・・。やはり出来れば、もう一度大聖院ルートから降りたかった。その意味があると思った。もうここまで来たら、駅まで戻ってロープウエイで降りても、あまり大差がないように思えた。ならば、前進する道を選ぶ。そう、同じリスクであれば、後悔しないように前に進むことを選択する。よし覚悟を決めて、行け行けGO−GOー!!

 みほちゃんは初めてなので、七不思議の干満岩や舟岩などを説明してチェックしながら、どんどん進む。大日如来さまをお祀りしている、大日堂が出て来た。大日如来さまは、あまねく光りを照らす金剛界と胎蔵界の太陽神。宇宙の森羅万象がすべて大日如来の徳を顕わしたものであり、釈迦、観音、諸仏菩薩も根本は大日如来であるとされ、ヴィルシャナ「光り輝き、遍く照らす」の意味を表している。(2006新年編より)

   

 そのことを思い出し、ここで日本(&古代インド)、エジプト、ペルーの太陽神を、「和」の光で繋ぐことが浮かんだ。ここに来てから、それも目的の一つだったとわかった。同時に、それならば何とかなると思った。 二人で祈りを捧げて光を送り、さらにダッシュで進む。
 御山神社への入り口に来た。でも、その奥まで入る時間はないと思ったので、鳥居の前から光を送った。・・・ また今度ゆっくり。(ぺこりん)

   

 水掛地蔵さんに、お水を掛けて手を合わせ、くじら岩を通り過ぎて、ようやく仁王門跡へ。ここが分岐点になっている。散策マップによると、ここから大聖院までの下りは約60分になっていた。時計をみると、15:15ぐらいになっている。つまり、30分で下まで降りないと、集合時間に間に合わない状態だということ。それもわかっていて、ここまで来ていたので、再び気合を入れてチャレンジ! 

 再び・・・走り出したら、止まらないぜ〜♪ ということで、シナイ山パワーを使って駆け下りていく。ただ、シナイ山はラクダ道までが石段で、後は比較的ゆるやかな砂道だったけど、このルートは最後まで石段の連続になっていたから、足首を痛めないように。
 このルート沿いにも、たくさんの見所がある。大小の石を敷き詰めた道が101m続いたり、巨大な岩の下から、勢いよく水が流れていたり(幕岩)。たくさんの石仏が納められている巨岩の真上には、太陽の光が降り注いでいた。 それで、そこにも「和」の光を一緒に納めることに。

   

 里見茶屋跡の展望台まで来た。大鳥居が見えている。(ふ〜っ) ちょっと休憩タイム。ここまでで約15分。良いペースで来ているけど、石段が響いて足もかなり疲れてきている。ここからが正念場。このペースを何とかキープしなくっちゃ。

   

 この間も、鳥さんたちは美しい鳴き声で励ましてくれていた。登って来る人たちの中には、外人さんが多かった。みんな明るく「コンニチワ〜」と挨拶してくれていた。それにしても、このルートで登ってくるなんて凄いね〜。さすがに、そこまでチャレンジする気にはならない私なのでした。(ははは^^;
 
 しばらくして、鐘の音が聴こえてきた。大聖院からだ。続いて、法螺貝の音も! パオ〜ンパオ〜ンと大きく響いてくる。そこで最初に浮かんだのは、マチュピチュの日の出の儀式で、いつもクイチが法螺貝を吹いていたこと。そして、からす天狗さんの姿だった。そう大聖院にいた、あの天狗さん。(秋の宮島弥山 Page2) あと、もうひと踏ん張りで行くよ〜♪
 その10分後ぐらいに、大聖院が見えてきた。やった〜! 白糸の滝が流れているのを眺め、たぎつ姫が祀られている滝宮神社で御挨拶。そのすぐ下には、御幸石。滝不動堂もこんにちは〜。

   

 大聖院の真横に到着したのが、15:45頃。 やった! ここまで予定通りに30分で来れた。でも大聖院には、下まで降りてから入る時間はない。何とか、このまま裏側から入ることは出来ないかと、周りをチェックしてみたけど柵があって無理そうだった。本堂がこちら側を向いていたので、ここから「和」の祈りと光を送った。
 すると、上からヒラヒラと舞ってくるものが・・・。ハタと気付いたら、私たちが立っていた隣に桜の木があった。(まあ!) ほとんど葉桜になっていたけど、その花びらが舞っていたのだ。 桜さんが代わりに応えてくれたと感じて、うれしかった♪  記念にパチリ! 太陽神からの祝福の光も・・・☆

 その先に、小さなお堂があり、中に仏像があったので、そこに「和」を入れて届けてもらうことに。数えずに適当に持ってきていた、「和」のトリニティカードは、これでピッタリ最後になっていた。(ちゃんちゃん)

   

 おっと〜! そうこうしている間に、また時間が経っちゃった。集合はフェリー乗り場の前に16:15だった。ここからだと、あと20分近くは掛かりそう。大聖院の山門で、最後の御挨拶をして桟橋へ。その途中で、満開の大きな桜さんの下に鹿ちゃんが登場。それも、またまた二頭だけが仲良く♪ その横には、例の「恋人の聖地」の旗もあったりして。(ふふふ)

   

 大鳥居は、引き潮になっていた。初めて来た時と同じだ。ここからが、また新たな始まりなのだと思った。買い物をする時間もないので、参道のお店を横目に通り過ぎて、帰りに食べるつもりで、お約束の穴子弁当だけを買うことにした。あいにく売り切れが続いていて、最後のお店で買っていたら、そこに恵比寿さまの姿が! ・・・ありがとうございます♪
 この時、すでにタイムオーバーだった。でも幸いなことに、他にもまだ遅れている人がいた。(ほっ) そして、ツアーの予定通りに16:30のフェリーに乗れて、めでたしめでたし。(ふ〜っ) 海が太陽の光で、キラキラ光っているのが見えていた。

   

 宮島口で、みほちゃんお薦めの生もみじ饅頭もゲット出来たし。(そっちかい!笑) バスに乗ってからは、さすがに一晩眠っていないことも効いてグッタリ。出し切るだけ出し切ってしまい、もう〜何もしたくない、動きたくない、しばらく山も登りたくないとさえ思えた。(笑) ・・・ そう思いながらも、いろいろなことが浮かんできた。その時、空にはクロスの雲が現れていた。

 もし予定通りに5時間の時間があれば、余裕で行けたはず。それが着いてからいろいろあって、実質は3時間半ぐらいになってしまった。前回の時は、朝からスタートして戻ったのが同じ時間ぐらいだから、同じルートでも8時間ほど掛けている。もっとも、身体の状態も天候も全く違っていたけれど。(ほほほ)

 いま振り返っても、よくあんな時間で回れたなと思う。添乗員さんの話では、ロープウエイの待ち時間が一時間以上になっていたらしい。(!) 私たちが乗ったときは、まだお昼時だったから、並んでいても10分ぐらいで乗れた。知らなかったとはいえ、もしあの時に大聖院ルートから下りるのを諦めて、ロープウエイまで戻ってしまっていたら!? 一時間を無駄に過ごすことになった上に、集合時間にも間に合わなかったはず。

 途中で止めても良かったけれど、引き返すことなど考えられなかった。それだけの目的があったし、そのために用意された機会だとわかっていたから。普通にすれば無理だと思っても、それに挑戦することも目的になっていたのですね。シナイ山とマチュピチュが統合した場所である弥山。そこに「和」の光を入れて、今度の旅へと繋いで行く。でもそれだけではなくて、同時進行で私たち自身のアセンションにもなっていた。その旅への準備として・・・・。 > みほちゃんのレポートは、次のDiaryで紹介します♪

 初めて登ったときは、数ヶ月続いたプロセスの直後で、まだ回復していない状態だった。2回目は、41度の高熱を出した直後で、普通に歩くのもフラフラしていた。今度は大丈夫と思っていたら、ほとんど眠っていない状態でスタートすることになり、おまけに時間の制限が加わって、いきなり倍速モードで動かされることに。そう、弥山は、私にとってアセンションの場になっていたのですね。

 セドナのカセドラルロックや、マチュピチュのワイナピチュと同じ。どちらも、まともな状態で登らされたことがない。初めてワイナピチュに登ったときも、インカトレイルの後で前の日に熱を出していたし(ペルー編 Page8)、カセドラルロックでも一睡もしない状態で登らされたり、3回目の絶好調の時には谷底アセンションで、2回往復するなんてことになったり。(セドナ編 Page13) ・・・ いろいろあったけど、その後で大きく変わったのも事実で、それらの一つ一つの体験が今の土台となってくれていた。
 限界を超えて、無限の力を生み出すのがアセンションなのだから、当然といえば当然なのでしょうね。それによって、新たなものを創造する力も目覚めてくる。それが魂が望んでいることだとわかっているから、受け入れることを選び、途中で諦めることも出来ない。

 身体についてもそうだった。私は小さい頃から、気管支や循環器系が弱かった。筋力も未発達で弱かった。それはただ単に、運動をして来なかったからだろうと思ったけれど、それだけではないことがわかった。ある時、周船寺のOさんを通した龍神さまのメッセージで伝えられた。足腰の筋肉や、心臓や肺が弱いのは生まれつきの体質だったこと。そして、それも自分で選んでいたのだと。そうして、敢えて自分に負荷を掛けた条件を付けることで、アセンションする意味を伝えて行こうとしている。確かに、パワフルに発達した身体だったら、同じことをしてもラクラク乗り越えてしまうので、限界を超えるというアセンションにはならないのよね。(笑)

 また、私にとって山を登るというのは、アセンションのプロセスそのものになっていた。登るときには、アセンションの階段を昇るように、急ぐことなくじっくり時間を掛けて、一歩一歩登っていく。その過程で、別次元に入っていることも良くある。そうして辿り着いて達成し、(頂上で)充分に時間を過ごした後は、さっさと下りてこの世に戻っていく。(^^) 身体が自然と、それに合わせて動くようになっていたのだ。
 それまでは、何とか身体を鍛えようと思いながらも、そのための時間を作ることが難しかったり、長続きしなかったりして、どうしたものかと思っていた。それも気付いてからは、無駄な抵抗は止めて(笑)、そのまま受け入れて、そんな身体だからこそ出来ることをすることにした。その代わりに、ライトボディとして進化させ、細胞(&血液)から光を放って輝かせる道を進むように・・・。

 帰りのバスの中で、そんなことも思い出しながら、アイポッドをランダムに流していたら、BON JOVIのIt's my lifeが掛かった。(私も柾至も大好きな曲で、プロモを見る度にウルウルしてくる。私もあんな風に早く走れたら良いけど。^^) 自分でも本当に不器用な生き方をしていると思うけれど、それも私が自分で選んだ人生であること。それが私の魂が望んでいる人生なのだから、今生ではそれで良いのだと。その中で最善を尽くして、お空に帰るまでに約束してきたことを果たすことが出来れば・・・。

 ふと目を明けて外をみたら、空が夕焼け色に染まっていた。あれは何だろうと思っていたら、「鳳凰ーフェニックス」が飛んでいる姿だとわかった。このちょうど前の日に、本屋さんに入ったら、鳳凰の絵が載っている雑誌が目に留まって手にすることになった。そして、その中の一枚の絵を待ち受け画面にしていた。また、「和」の絵には、「和龍」の他に「和鳳凰」も描かれていた。 この後に続く旅も、地球の「再生・復活」に向かっている。 伊勢・熱田の旅に続いて、そのための旅になっていたのでした☆