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聖なる旅


奈良・伊勢 編

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2002.10.4〜10.7

10月 6日   前編
 三輪を出たのは午後5時半すぎだったが、天河への道は思ったよりもスムーズで午後7時頃に到着。民宿のびわも部屋が取れた。途中で食事をしようと思ったが、お目当てのお店が閉まっていたので、そのまま宿に直行。すると、天の川温泉は午後8時までということでギリギリセーフ。どこにも寄らなくて良かった。閉館前で露天風呂は、またしても貸切状態。v(^^)v 自然とベストな時間になっていた。川沿いのお店でお食事。(ここも貸切 ^^) 
 そして、夜の天河神社へ。手水舎の水は勢いが良くて、柄杓から溢れ出しそう。(さすが〜) ただいま! お久しぶりです♪ 前回来てから、1年以上過ぎていた。五十鈴ちゃんも、やっと里帰り出来てうれしそう♪ 静まり返った拝殿の前で振った。この1年の変化は、五十鈴の音が表してくれた。初めて訪れたときに、夜の正式参拝を受け、2回目の夜には偶然にも龍村監督の神事にも参加出来た。夜の天河はまたスペシャルで好き♪ 余分なものが一切目に入らない。1対1で向かい合える。地面が揺れている気がした。微妙に振動しているような・・・。手足が反応している。(来てます、来てます ^^) この夜は最後まで、誰も現れなかった。(天河を貸し切れるなんて、サイコー!) 1年を静かに振り返りながら、報告していた。あれから私も少しは成長したかな・・・。

 6時に出発する予定で、5時に起床。二人なのに大部屋で、一番広い部屋を用意してくれていた。 それに、私たち以外には一組だけで、とっても静か。まだ時間があったので、兄に体操を教えてもらったり、整えてもらったり。その気持ち良さに、ついつい時間も忘れて夢中になってしまい、太鼓の音ではっと気が付いた。もう7時になっている! 朝拝が始まったのだ。それなら参加するしかない。 そのままダッシュ。 懐かしいこの音、この雰囲気。祝詞を揚げた後、代表の数人が拝殿の階段を昇り、玉串を納めていたが、そこで「皆さんもどうぞ。」と言われ、私たちまで拝殿に上がれることに! (わ〜、ラッキー☆) 私は久しぶりなのでドキドキしながら、一段一段昇っていた。兄は予想外のことに驚いていた。一緒に玉串を納めながら、初めて拝殿に上がれた兄は、「良かった〜。」と大感激。いつか天河で正式参拝をしたいと言っていた。でも今回もその時間はないと思っていた。それに、奈良で何度もお祀りに参加させて頂いたので、充分だとも思っていた。天河の朝拝は気持ちが良いので、参加したかったけれど、後の予定を考えて、今回はあきらめることにしていた。でも、ちゃんと受けるようになっていたんですね。体操していて時間が経ってしまったのも、(それもお部屋が広かったから) 必然だったみたい。(^^)
 終わった後に宮司さんのお話があった。何と水の結晶の話から始まって、私たちの身体の70%は水で出来ているので、その水をきれいにすると心も整ってくるという話をされていたのだ。(素晴らしい!!) お神酒まで頂いて、朝から満たされた私たち♪ 参加出来て良かった〜。
 社務所に寄って、おみくじを引いてみた。難しい言葉で書かれていたので、他の人達が神官さんに意味を尋ねていた。せっかくなので私たちもお願いすることに。その神官さんは、初めて来た時にお世話になった松村神官だった。(その時に初めて五十鈴を振らせてもらった。) 朝拝から着替えて戻ったところだったのに、快く承知してくれた。そこへ社務所の女性が、「寒いから中へどうぞ。」と通してくれて、温かいお茶まで出して頂いた。(そこまで・・・^^) 神官さんは、そのまま訳するのではなく、わかりやすいようにお話を例えながら、ゆっくり時間をかけて説明してくれた。”武道も神道でもそうですが、・・・はこうしないといけないと、形だけを整えてするのではなく、全体を通して心を持って行うこと。何事も形だけではないということですね。そして、誤りに気づいたときは、直ちに正して行くことですね。・・・” そのことは、兄とも話していたところ。兄は武道を始めた頃、型を決めることに囚われていたことがあったという。何でもこうしないといけない、と決めてかかったり、形式だけに拘っていると、そこで制限が加わる。祈りも参拝もそうだと思う。お賽銭を投げて(両手で優しく入れてあげてくださいね)、手だけ合わせて頭を下げればいいものでもなく、だからと言って難しい祝詞を全部憶えていなくても、意味がわからなくても大丈夫。(私もほとんど理解していません^^;) 一番大事なのは心の向け方だから。 そして、学んだことは素直に受け入れ、気づいたことはさっさと修整して行く。私は朝の兄との時間で、もっと自分の肉体と繋がる必要があると気づいた。内側は、HWのおかげもあって血液サラサラ。v(^^)v  でも外側としての肉体は、(最近は特に運動不足 ^^;) 偏った使い方をしていた。 このアンバランスに気づかされた。(兄の専門分野ですから) 内側だけではダメですね。外からも整えて行かないと・・・。はい、これから正して行きま〜す!(^^)

 最後に大銀杏の木へ。昨日の夜、ここで不思議なことが起こっていた。大銀杏さんに「また来ましたよ〜」と挨拶したら、ボトッと音がして、すぐ横に何かが落ちてきたようだった。「返事してくれたみたい。」 そこで五十鈴を振ると、ゴオッ〜という大きな音がした。飛行機!? こんな時間に、しかも低空飛行しているのか、かなりの音が響いていた。空を見上げても、それらしいものは何も見えなかった。 この日も出発前に挨拶に行くと、今度は目の前にボトボトッと立て続けに落ちた。どうやら銀杏の実らしい。まだ実が落ちるような時期ではないのにね。わかりやすく、お返事してくれる。ありがとうございます♪
 私は3回目にして、天河の素晴らしさがわかった気がした。初めて訪れたときは清々しさに感動し、不思議な懐かしさも感じていた。その後もいろいろな神社を周った。それぞれの神社には、それぞれの働きがあって素晴らしく、比較することは出来ない。そして、どの神社も温かく迎えてくれていた。でも今回はっきりとわかった。天河は私にとっては特別な場所。やっぱり、私の魂の故郷みたい。久しぶりに戻ってきて、確信した。実は、今回は天河には寄れなくてもいいと思っていた。まだ訪れていないところがたくさんあったので、それらを優先したほうがいいのかな、と思っていた。それが寄れることになり、挨拶だけで済ませるつもりが引き止められた。そして、ようやくわかった。これだけ多くの人に知られていても、この清らかさは変わらない。(奈良で、宮司さんが著書を出して有名になったある神社のエネルギーが変わってしまったという話を聞いていた。) それどころか、ますます光りが強くなっている気もする。光り以外のものは、完全にシャットアウトされているのか、ここは光りしか感じられない。周囲で何が起ころうとも、清らかさと美しさを保ち、光りを放ち続ける。私はここに来て、もう一度原点に戻り、本質を思い出すことが出来た。光りの源へ・・・。そして、天河の神様(お父さま、お母さまと呼びたくなる。笑)は優しく、温かく迎えてくれた。慈愛で包んでくれた。気づかせてくれて、ありがとう。(通り過ぎようだなんて、失礼しました ^^;) たまにしか帰って来れないけれど(”ふるさとは、遠くにありて思うもの” よね)、 五十鈴があるから大丈夫! 「いつでも五十鈴を鳴らしなさい。」 そうね、今までもずっと見守ってくれていた。でもその分、油断も出来ないの。(笑) 五十鈴の音は、ごまかせないから・・・。 頑張りま〜す。v(^^)v ちなみに、幣立は何度訪れても、ピンと張り詰めた空気を感じる。幣立は私の母校って感じかな。(まだ卒業出来ていなかったりして。 だから、時々呼び出しが来るのかも。笑)

 びわの民宿に戻り、準備して出ようとしたら、今年入ったというお姉さんと、話が盛り上がってしまった。明るくて無邪気な人で、福岡のおいしいカレー屋さんの情報まで教えてくれた。(^^) びわのおばさんは、お遍路さんで四国八十八ヶ所も周っている人で、兄と話していた。(兄は石手寺の前に住んでいる) 気が付くと、もう8時30分。予定よりかなり過ぎていたものの、それ以上に素晴らしい時間を過ごせたことに大満足。そして感謝☆ 玉置への道も確認して、さあ出発。朝早く出るつもりだったから食事は頼まなかったのに、お姉さんがパンを袋に入れて持って来てくれた。しかもおいしそうな天然酵母のパン。 わ〜、ありがとう! 頂きま〜す♪ 空を見上げると、たくさんの祝福の雲。「いってらっしゃい。」(写真右) 「は〜い、行って来ま〜す! 成長して帰って来ま〜す♪」 今度帰って来るまでに、もっともっと輝けるように・・・☆



神気に満ちている朝の天河
弁財天さま、お見送りありがとう♪