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REIKIとの出会い

私が真の自分を見つけ、人生を変える大きなきっかけを与えてくれた
REIKIとの出会いとその後の変化について書いています。


第1部
 私がREIKIと出会ったときは、私が今まで生きてきた人生の中で、最も困難なときのことでした。
夢を持ってカナダでの新生活をスタートした途端、いきなり大きなサギに遭い、それをきっかけとして私たちの周りには、次々とトラブルが襲いかかってきました。そこから抜け出そうと努力すればするほど、ますます深みにはまり、やることなすこと全てが裏目に出てしまいました。現実の厳しさと自分たちの甘さや無力さを存分に思い知らされた時期でした。


 そんな状態が2年以上も続き、私の精神はかなり参っていました。誰に相談することもできず、私の感情は心の奥に押し込められたままです。鏡を見ると、そこには内に怒りと悲しみを抱え、暗い顔をした自分が映っていました。またそんな自分がイヤでたまらず、一人になると泣いてばかり。自分が情けなくてみじめでした。
 日本にいたころの、こうなる前の自分に戻りたい。今の自分から逃げ出したい。日本に帰ったら、もしかして自分を取り戻せるかもしれない。そう思ってツアーガイドの仕事をしてそのためのお金を貯めることにしました。

 それから、しばらくたった頃、まさしが変な咳をしていることに気づきました。最初は、カゼだと思ったのですが、他の症状はなく、その咳も今までとは全然違うのです。もしかしたら、百日ぜきではと思い、かかりつけのファミリードクターに診てもらいましたが、違うとのこと。またぜんそくでもない。

 それで、Children Hospitalで血液検査を始め、いろいろ調べてもらいましたが、はっきりした答えが出ませんでした。その咳は、幸いなことに夜には治まるので眠ることには支障はなく、通常どおりの生活はできていたものの、咳をする度にまるで何か喉の奥に詰まっているような変な音がするのです。病院からは薬と吸入器のようなものを出され、しばらく使ってみたものの何の効果もありません。ドクターからは、もうしばらく使ってみるように言われましたが、副作用も心配だったし、私にはこれ以上使ってもムダなことは、何となくわかっていました。きっと何か他に原因がある。そう思っていました。



 本を読んだり、始めたばかりのインターネットでいろいろ調べていたら、あるホームページに目が止まりました。バッチのフラワーリメディーを紹介しているページです。ちょうどカナダに来る前、雑誌でそのフラワーリメディーが紹介されているのを見て興味を持ち、本を購入して持っていたからです。

 REIKIは、その中で一緒に紹介されていたのです。”副作用は全くなく、自然の力で崩れているバランスを取り戻し、心と身体の病を癒す。同時にプラクティショナー自らも癒される” このようなことが書かれていました。私はそのことばに強く惹きつけられ、ワークショップを受けたくなりました。でも、そこはアメリカ。もっと近くにないものかと捜し始めました。



 そうこうしているうちに、念願の日本に一時帰国するときが近づいてきました。日本にいる知人や友人たちには、クリスマスカードやメールで知らせ、チケットも予約し、少しずつ準備を始めていました。
 それがある時ネットサーフィンをしていたら、風水トラベル占いというのが出てきたので、見てみたところ、方角と時期が大凶と出たのです。この時期にその方角へ旅行すると災難にあうとはっきり書いていました。その占いがどれくらい当たるのかはわからなかったけれど、何だか妙に気になってしまい、タロットに尋ねてみました。

 タロットをするのは、随分と久し振りでした。そうして出た結果は、最悪!だったのです。そのメッセージの内容は、”自分の思うように動けない、願いがかなわない、目的は達成できない、動機が不純・・・!?”
 出たカードすべてが、否定的なメッセージばかり。その日のためにずっと楽しみに頑張ってきたのに。今さら、そんなことを言われても・・・。でもそれを否定しようとしても、どうしてもできない。タロットには、たかが占いと言えないものがあることも知っていたからです。そうして、結局日本行きはキャンセルし、延期することにしました。



 それから数日たった頃、配られてきたローカル雑誌に何気なく目を通していたら、そこに何とREIKIのワークショップを見つけたのです。場所はオタワ市内で、今から約1ヶ月後。もちろん急いで申し込み手続きをしました。

 そして、これは後でわかったことですが、私が日本へ出発する予定だった翌日、東京で何十年振りかの大雪が降り、そのため、空港も閉鎖され、都内の交通期間もしばらくストップし、東京はパニックだったというのです。もし私があのまま予定通り出発していたら、まず成田までスムーズに到着できなかったかもしれないし、運よく着いたにしても、そのあとは東京で身動きできず、四国や九州に帰ることも難しかったかもしれません。


 そうして出会ったREIKI。それが私のこれからの人生を大きく変えることになりました。

                                    ...
第2部



  REIKI Work shop ファーストレベル。
場所は、市内のハイスクールの教室を使って行われました。それは、このワークショップが市の教育委員会を通して行われている中のひとつだったからです。ここでも、日本との考え方の違いが出ています。

 ドキドキしながら教室に入ると、一風変わった音楽が流れていました。先生は思っていたよりも若くて、とてもハンサムな方です。それにトレーニングでしっかり自分を鍛えあげてるって感じでした。

 まず最初にREIKIについて、いろいろ説明を受けました。もとの起源は日本だけれども、当の日本ではまだほとんど知られていないということも話されていました。クラスのメンバーは、ほとんど私より年上のようです。この時点での私は、まだ本を読んだこともなく、REIKIに関する知識はほとんどありませんでした。他の方達のうち何人かは以前にも受けており、すでに実践しているようでしたし、それ以外の方達も普段から瞑想をしていたり、何らかのエネルギーワークの経験があるようです。みなさんとても積極的で、次々と先生に質問を浴びせ、私はただ圧倒されながらだまって聞いていました。

 さあ、いよいよアチューメント。私は後のグループになったので、前のグループが受けているのを見ることができました。お香を焚いて、静まり返った中、先生は前に後ろにと動いています。一人に対しては、わずか数分です。私の番も無事終わり、そのあとみんなで感想を述べ合いました。中にはアチューメントの間に、白い光や、紫の色が見えたという人達もいました。私には何も見えませんでしたが、しばらくすると両手がジンジンとしているのだけは感じとれました。

 そのあとは、ペアを組んで交替にREIKIを流しあいます。私は、隣の人とすることになりましたが、彼女も全く初めてのようです。その時は教わった通りに手を置いていくのがやっとで、エネルギーを感じる余裕はありません。
 ただ、受けている間は、相手の手がとても暖かくて、身体全体が浮かんでいるかのようにフワッとして気持ち良かったのを憶えています。あのたった数分間のアチューメントでエネルギーの回路が開かれ、両手からは自然と流れてくるのです。当時の私にとっては全く未知の世界でしたが、不思議と疑う気持ちはありませんでした。

 その日から意識して身体の上に手を置くようにしました。特に集中する必要はなく、ただのせるだけでいいのです。テレビを見ながら、手を膝の上に置いているだけで、両手がどんどん熱くなってくるのがわかりました。
 また、夜眠るとき、胸やお腹の上に手をのせるとよく眠れると聞いたので試したところ、途中で手がジンジンときて、その手の熱さで目が覚めたほどでした。その頃というのは、1年で最も寒い時期。外は―20度から―30度という寒さ。それに私は冷え症だったので、手足はいつも冷たいはずです。自分の中で明らかに何かが違ってきていました。


 そして一ヶ月後、セカンドレベルです。
始めにこの一ヶ月のことをみんなで話し合いました。ある人は時計をつけたまましたら、その時計が止まってしまったそうです。またある人は、流している間テレビの画面が乱れたり。ある年配の女性は、前回のクラスで膝が悪いと言っていたのですが、毎日膝に手を置いていたら、楽になってきたと言っています。みんな真剣にやっていたと知って、自分が恥ずかしくなりました。

 前回と同じようにアチューメントを受け、シンボルとマントラを教わりました。これらのシンボルを使うとパワーはさらに強められ、遠隔ヒーリングもできるようになります。

 同じペアを組んで、実践に入りました。私はその日、珍しく朝から体調を崩していました。腰に鈍い痛みがあり、身体全体もだるくて、ここまで来るのがやっとの状態でした。そのことを相手に伝え、腰の周辺を重点的にしてもらうことにしました。

 半分くらい終わった頃、彼女が急に座り込んでしまい、頭がクラクラすると言い出しました。そこで中断して二人で外に出ました。その時は、REIKIは悪い方向には絶対働かないと聞いていたのに、少しショックでした。

 幸い彼女はすぐに落ち着いたので、教室に戻り、今度は私が流す番になりました。すると頭に手を置いて、わずか1分ほどで彼女はスースーと寝息を立てて眠ってしまったのです。あまりによく眠っているので、うつぶせにするのをやめて、そのままの状態で最後まで続けました。

 時間になり、先生の声でやっと目を覚ましました。彼女によると、私が頭に手を置いた途端、何か暖かいものが流れてくるのを感じたそうです。そのあとすぐに眠ってしまい、実際には45分位でしたが、一晩ぐっすり眠った後のように気持ちいいと言ってくれました。このことは、私と彼女に大きな自信と確信を与えてくれました。

 また後でわかったことは、あの時彼女の気分が悪くなったのは、体調の悪い私のために、多量のエネルギーが彼女の身体を通して流れ、まだその感覚に慣れていない、受け入れる容量が十分ではなかった彼女に、一時的に影響が出たようでした。

 この頃から、私自身や周辺に、少しずつ目に見えた変化が訪れ始めました。ふと気がつくと、まさしの例の咳はいつの間にか治まっており、その後二度と起きることはありませんでした。
 そうして一ヶ月後、今度は日本でサードを受けることになりました。

           
第3部



 いよいよ日本に一時帰国する時が来ました。一月に来ようとした時とは、全く目的が変わっています。あの時はただ、今の状況から逃げ出すことだけを考えていました。セカンドを受けて一ヶ月。自分の内面にもいろいろな事がありました。
 次のサードレベルは、マスターレベルとも呼ばれ、宇宙との繋がりを得ると言われています。早く受けたい。でも残念ながら、オタワでのワークショップは夏までありません。それまで待てなかった私は、日本で受けることにしたのです。

 夜、東京に着いて翌日の午後、早速サードを受けに行きました。そこは、臼井式のREIKIで、アチューメントの方法も違っていました。念願のマスターシンボル。このシンボルを使うことで、高次の意識と繋がり、ハイアーセルフの導きが得られるという。この時の私には、それがどういうことなのか、全く想像もつきません。アチューメントの間も、特にこれといった反応はなかったし。ただ、ほっとしてうれしかったのを憶えています。

 その日から、毎日セルフヒーリングを始めました。数日後、いつものように目を閉じてしていると、突然目の前に金色の輪が浮かびあがりました。それは、最初ゆっくりとだんだん大きくなって、目の前に近づいて来ました。
 それがもし一瞬のことなら、錯覚かもしれませんが、数分間はずっと続いて見えました。とても鮮明に光っていて、私は感動して身体が震えていました。目を開けてからも、しばらくその余韻に浸っていました。
 その金色の輪は、それ以後しばらく見ることはなく、そのあと現在まで2回現れただけです。それが本当はどういう意味があるのかはわかりませんが、目にした時の感動は、とても素晴らしいものでした。


 原宿でリーディングをしてもらった時のことです。その方は霊視とタロットをされています。まず座って両手を前に出すように言われ、そのあと少し驚いた様子で、「何をされているんですか?」と聞かれました。

 私の両肩の上に、花が咲いているのが見えたそうです。彼によると、その時の私のエネルギーはとても強かったらしく、私の年齢では!?珍しいとも言われました。私は彼に、今考えていることを話しました。
 すると彼は、「今の環境であなたが学ぶことは、全て終わっています。あなたはそのことに早くから気がついていたようですね。周りに何を言われようと、次のステップのために、勇気を持って自分の道を進むべきです。」

 そうはっきり言われました。心配だった息子についても、最初は苦労をするかもしれないが、彼は私について来るようになっている、と。自分の思っていたことが、これだけはっきりと肯定されたのはこの時が初めてです。
 胸のつかえが一気にとれたような感じでした。私はこの力強いメッセージに勇気を与えられました。そしてカナダに帰ってからも彼のことばが私の心の強い支えとなったのです。

 他にもいろいろなことに気づかされました。エイトスターを通じて、山川紘矢・亜希子夫妻の講演会に行くことになり、その時、時間調節のために参加した小倉充倭子さんの講演会もその中のひとつ。彼女に対しては、何の予備知識もなかったのですが、始まって数分後には、話に惹き付けられ、メモを取っていました。小倉さんは昔、身体があまり丈夫ではなかったらしく、ある時玄米とヨガに出会ってから考え方が変わり、その後3人の男の子を完全玄米菜食で立派に育てあげた方です。その子育て論はとてもユニークで、私の中にも響くものがありました。有意義で貴重なお話でした。

 また、この3週間の間に、私の周囲の人たちを通しても気づきがありました。東京でお世話になった友人のMちゃん。彼女とは仕事を通じて知り合いましたが、親しくなったのは、日本を離れる少し前からでした。
出発の2日前に、初めて仕事を離れて二人で会い、楽しく時間を過ごしました。彼女の部屋を訪れたのもその時が初めてでした。カナダに行ってからも、電話をくれたり、手紙をくれたりしていました。そんな彼女の好意に甘えて、東京にいる間、ずっとお世話になることになりました。

 久し振りに会った彼女は、仕事も変わり、以前よりもっと忙しくなり、毎日朝早く出て夜遅く帰るという状態でした。睡眠時間も短く、かなり無理が続いていたようで顔色もさえません。台所には、胃薬からビタミン剤までずらっと並んでいて、冷蔵庫にはチョコレート菓子がいっぱい。

 サードを受けたばかりの私は、夜寝る前に彼女にヒーリングをしてみました。随分と疲れていたらしく、そのまますぐ眠ってしまいました。続けて3日した翌朝、微熱が出ました。それに顔にも小さな湿疹が出ていました。かといって、気分が悪いというわけではないようです。化粧をしたくないと言うことで休むことになりました。 

 熱は、しばらくしてすぐ下がったものの、湿疹がまだ続いていたので、結局3日間休みました。この間、私達は電車で買い物に行ったり、一緒に食事を作ったりとのんびり過ごしました。彼女も久し振りにリラックス出来たようです。ヒーリングも毎日続けました。

 ちょうどいい機会だったので、食生活についていろいろアドバイスしているうちに、前から興味を持っていた玄米の話をすると、意外にも彼女も乗り気で、早速買ってきて食べたのです。二人ともおいしくないだろうという考えを持っていたにもかかわらず、初めて口にした玄米は、香ばしくて、それはそれはとてもおいしかったのです。彼女も「な〜んだ、おいしいじゃない。」とのこと。ちなみに、彼女は味にはうるさいほうで、うちではお米も新潟の実家から送ってもらう最高級のものしか食べないような人でした。


 その後,10日ほど東京を離れて戻ると、彼女にも変化がありました。冷蔵庫を開けると、お菓子はすっかりなくなっている。食べずに全部処分したと言うし、彼女に買ってきたおみやげのお菓子にも手をつけない。私が久し振りに食べたくなって買ってきた天ぷら物を見て、「みゆきちゃん、どうしたの?」なんて聞くし・・・。

 前は、私がいつもミネラルウオーターを飲んでいるのを見て、「水なんかよく飲めるね〜。」とか言っていたのに、冷蔵庫にはしっかり大きいボトルが入っている。そして、お弁当に玄米のおにぎりを持っていっている。彼女の突然の変わりようには、私も驚かされました。

 ある時、彼女が「これ読んでみる?」と、一冊の本を差し出しました。私は、その本を持って近くのファミリーレストランに行き、一気に読み上げました。気がつくと3時間以上経っていました。その本は、チャネリングを通した宇宙存在バシャールからのメッセージが書かれた本です。私がこれまで、学校や社会から教わったことを覆すような内容でした。その本は、彼女の知人が「いつかこの本を読む時が来るから、それまで持っていて。」と言って渡したそうです。

 彼女は細かいことにこだわらない性格で、言いたいことをいつもはっきり言える人。そのうえ美人なのでみんなにとても人気がある。周りに流されることもなくいつもマイペース。悩むことなんて全くなさそうな人でした。年下なのに姉御肌タイプだったし、私にはないものをいっぱい持っていた彼女に、一種のあこがれのような感情を持っていました。

 そんな彼女とカナダに行く前に急に親しくなり、今こうして再会し、短い間だったけど一緒に過ごした。そして、彼女の口から、「みゆきちゃんと会ったのも偶然じゃなかったのかもね。」と言うことばを聞いた・・・。

 私はこの時に、人と人との出会いが、人生にどれだけの影響をもたらすことになるのかを知らされました。そして、人間はみんな本来どこかで繋がっていて、お互いが助け合ったり励まし合ったりして共存共栄しながら生きていくようになっている。そのことにも気づくことが出来ました。
 出発する日の朝、化粧もしないで駅まで見送りに来てくれ、見えなくなるまで手を振ってくれた彼女。その姿を見て、いとおしい気持ちでいっぱいになりました。まるで彼女が自分の可愛い妹のように感じたのです。

 愛媛には私の兄とその家族が住んでいます。可愛い女の子がふたりいて、わずか2日間の間にすっかりなついてくれて、楽しい時を過ごし、帰る時は手作りのネックレスと一緒に私の似顔絵を書いてくれたりして、久し振りに自分の家族との時間を過ごしました。

 その兄にヒーリングをしてみた時のこと。例によって、彼も途中で眠ってしまったようですが、気がついてから、どうやってそんなに気を出せるようになったのかと尋ねられました。兄は、仕事をしながらカイロプラクティックの勉強をして、先頃やっと資格を取ったところで、趣味で合気道と中国拳法を習っています。時間さえあれば山に登り、肥田式の呼吸法をしたりして、自分で気を出すトレーニングをしていたそうです。ですから、気にはとても敏感でした。何のトレ−ニングもしていない私がしていることに驚いた様子で、REIKIにとても興味を持ち、今度帰った時にぜひ教えてほしいと言われました。


 この他にも、東京、広島、愛媛、福岡を訪れ、それぞれの友人や知人と再会していく中で、いくつもの偶然の出来事を見せられました。何でもないような小さなことでも、この短い期間に立て続けに見せられると、何かあると思わざるを得ませんでした。これらの出来事を通して、私に何かを証明しようとしている、それは確かでした。

 こうして、本来の自分を取り戻した私は、今度は同じように悩んだり、迷ったりしている人たちのために何かをしたいと思うようになり、REIKIのTeacher Degreeを取ってから、日本に戻ることを決意したのです。

第4部



 カナダに戻ってからしばらくすると、春のツアーシーズンが始まり、ガイドの仕事をする一方で、日本へ年内に帰ることを決意した私は、そのために具体的な準備をすることにしました。

 日本から30冊余りの本を買ってきていたので、その本からも次々とインスピレーションを得ることができました。日本へ発つ前と違い、同じ家にいても私の心は落ち着いていて、とても平和な気持ちでした。そして、その頃、Mariaという女性と出会ったのです。(彼女とのことは、”Mariaと私”に書いています)

 また同じ頃、あることがやたらといろいろなところで、目につき始めました。それが、リフレクソロジーです。私がよくアクセスしているヒーリングのHP、たまたま見た雑誌や新聞の記事など。それまで名前さえ知らなかったのに、急に次々と私の前に出てくるのです。

 そして極め付きはTVのある番組。そこでリフレクソロジーの紹介をしていました。ベッドに横たわった女性の足をマッサージしている。良く見ると、普通の足のマッサージと違う手の動かし方。とても細かい指の動きです。
 そして、施術を受けている方は、気持ち良さそうに眠っている。これがそのリフレクソロジーだとやっとわかりました。これだけ続くと、無視など出来ないことは、もうわかっていました。それで、いろいろ調べていくうちに、リフレクソロジーについてだんだん興味が湧いてきました。

 ”自然治癒力を取り戻す” ”身体の機能を高める” そのうえリラックス効果も高く、とても気持ちが良いとのこと。REIKIと共通するところが多く、また手だけを使うということで、REIKIとうまく併用出来るかもしれないと考えました。

 私はちゃんとした資格を取ることを考え、そうして見つけたのが、RAC(カナダリフレクソロジー協会)です。早速問い合わせをして、講師の資格を持った方のリストを送ってもらいました。その中から捜したのは、オタワ近郊に住んでいて、E-mailアドレスかFAX番号が載っている先生です。それは恥ずかしい話ですが、直接先生に電話して自分の事情を説明できるほどの自信がまだなかったからです。

 何しろ私は年内にコースを終わらせ、試験に合格して資格を取らなければいけない。つまり残された期間は半年しかなかったのです。

 その中の二人のうち、一人は女性で私の住んでいるところからも近い。もう一人は男性で、かなり離れたところのようです。でも、名前を見てピンと来るものがありました。メールで問い合わせると女性の方はすぐに返事を頂いたのですが、次のコースは9月から始まる半年間のコースで、そのあとに試験を受けることを考えたら、残念だけどとても間に合わない。

 ではもう一人の先生はどうかと言うと、なかなか返事が来ないのです。待つこと1週間。FAXも出してみましたが、何の連絡もなくがっかりしました。それに自分の直感がはずれたこともショックでした。やっぱり今からでは無理なのかなと、あきらめていた頃、早朝電話が鳴りました。その先生からでした。

 2週間ほど出張していて、昨夜遅くに戻り、FAXとE-mailを見たそうです。そのまま朝になるのを待って連絡したとおっしゃいました。さらに驚いたことに、その先生は普通カレッジで教えているのですが、そのコースだとやはり9月から始まるとのこと。

 でもその前にセミプライベートコースがあり、それが10日後からスタートするらしく、私の事情を知って、そちらのほうに入れて下さるということでした。もう私には願ってもないことでした。その先生は電話で話しただけでも、人柄の温かさが伝わってくるような方でした。私の英語力が不十分なので、ご迷惑をかけるかもしれないということを話すと、”大丈夫。ちゃんとわかるまで指導するから”とも言って頂き、私の不安は消え去りました。

 早速、手続きを済ませるとコースの資料と分厚いテキストのファイルが送られてきました。そのテキストには、解剖学と生理学がびっしり。さっと目を通してみると全くチンプンカンプン。これは授業の前に予習が必要だと思い、すぐに始めましたが、今まで耳にしない英語ばかりで、普通の辞書にも載っていない。急いで図書館に走り、医学用語辞典を手に入れ、英英、英和辞典と3冊を使いながら、当日まで下調べをしました。

 その間に、また先生のほうから電話が入り、他の3人のメンバーの内の一人が私のところから近いみたいだから、連絡して一緒に来たらどうかと、彼女の連絡先を教えてくれました。とは言うものの、当時の私は、まだ会ったこともないのに一緒に行きましょうと言えるほどの勇気もなく、クラスで会って様子を見てからという気持ちでした。そうしたら、彼女のほうから連絡があり、”そっちまで迎えに行くから、私の車で一緒に行きましょう”と誘ってくれたのです。

 そして、コースの一日目。
私たちは、朝のラッシュのことを考えて早めに出ました。そのジュディという女性は、明るく、話好きでとてもオープンな人です。もう成人した息子さんがいるとのことでした。地元の人だけあって、ラッシュを避ける裏道もよく知っており、普通だったらハイウエイで45分位、ラッシュ時なら一時間以上はかかるところを、彼女のおかげで予定よりもずっと早く着くことができました。その方面は全く初めてだったので、もし私一人だったら、きっと途中で道に迷い、地図を抱えてパニックに陥っていたかもしれません。

 そして玄関まで迎えに来てくれた先生の顔を見て、”あ〜、やっぱり!”と思いました。名前を見てピンと来たというのは、私のREIKIの先生と同じファミリーネームだったからです。

 珍しいフランス系の名前だったので、もしかしたらと思っていたけれど、ほんとにそうでした。REIKIの先生のお父さまでした。目元がそっくりだったのですぐにわかりました。こうして、また導きを受けながら、私の新しい道への第一歩が始まりました。
第5部


 私以外の3人は、事前に先生のワークショップを受けていたので、お互いの気心も知れており、リフレの基本的なこともわかっているようでした。他の二人のうち一人は、メリーアンと言って私と同じ位の年で、元看護婦。REIKIも持っていて、今はアロマセラピーをしており、他のワークショップでも教えているとのこと。

 もう一人は男性で、リタイヤしているとは思えない位、若々しいピエールと言うフランス系の人。そして、ジュディはホームヘルパーの仕事をしながら、マッサージの資格も取っています。彼女は子供の頃に受けた虐待が原因で、身体の免疫システムにトラブルが起こり、ある種の重いアレルギーを持っていました。でも、とてもそんなことがあるとは思えない位に大らかで前向きに生きている人です。彼女と私はいいパートナーとなり、結局コースの最後まで彼女の車で一緒に通うことになりました。

 コースの行われた場所は、ある家の一室を使っていたので、みんなソファに座ったり、ランチはバルコニーで食べたりと、とてもリラックスした雰囲気の中で授業を受けることが出来ました。
 最初の頃、緊張していたこともあって、内容をすぐに理解することが難しく、カセットを持参して録音し、帰ってからわかるまで何度も聞き直すということをしていました。みんなと一緒についていくには、倍以上の努力が必要でした。

 でも先生は、いつも途中でストップし、私に声をかけて確認してくれました。一日8時間の授業でしたが、一度も退屈することはありませんでした。先生はユーモアたっぷりだし、他のみんなもそれによく乗るので、いつも話が発展してしまい、時間通り5時に終わることはありませんでした。そのうえ、終わってからもみんなすぐに帰ろうとはしないので、先生も大変だったかもしれません。さすがに私も久しぶりに頭を使ったせいか、家に帰るとぐったりでした。

 ここで基礎的な身体のシステムを習ったことは、とても役に立ちました。身体についてどんどん興味が湧いてきました。やはり基礎をしっかり踏まえた上で施術をしないと、ただ技術だけ覚え、誰に対しても同じ様にしていたなら、各症状に対応することは出来ないし、リフレの本当の効果を生かすことが出来ないからです。

 実技のほうは、また楽しみながら受けました。最初と最後にするリラクゼーションマッサージでは、エステ時代の経験を生かすことができました。反射療法は、マッサージではないので全く手法が違っています。特に親指の動きは慣れるまで毎日、家で時間のある限り練習しました。

 メリーアンは仕事をしていたので、私とジュディ、ピエールの3人は、クラスのない日でもよく集まって練習をしていました。それも楽しい思い出です。REIKIと同様に、するほうもされるほうもいい気分になれます。

 最初に先生が言った、「僕たちは与えているだけではなく、同時に受け取っているんだよ。」という意味が、この時にやっと理解できました。ピエールは、通常45分から60分のセッションを、最低でも1時間30分以上かける人でした。一度始めたら、足から離れられなくなってしまうんだそうです。その気持ちも良くわかります。私もひと度入ってしまうと、エネルギーのボルテージがどんどん上がって行き、そのあとは手が勝手に動くような感じになるのです。

 コース最後の日は、みんなで写真を取り合い、先生にカードを書いて渡しました。先生は、RACの前期で副会長も務めており、ニュースレターの編集もしたりして、協会ではトップの方です。それにも関わらず、少しも偉そうなところがなくて人間味にあふれた方でした。リフレの他にも指圧を教えており、ハリや各種マッサージも一通り勉強されています。また現役でも活躍中で、各地での催し物にも参加され、それでいてとてもシンプルな生活をされていました。

 先日届いたメールでは、RACで新しく始まった耳のリフレの講師資格も取られたとのことでした。このような素晴らしい先生に巡り合えたことに、とても感謝しています。それに、これがひとクラス20人以上のカレッジのコースでなかったことも、私にとっては良かったと思っています。

 コースが終わってほっとするのもつかの間、次は筆記試験に向けての猛勉強が始まりました。問題は140問近くあり、マークシートならいいのですが、ほとんどが書き込みです。中には各ケース別に対処法を自分で判断して書くところもあるし、図で表したり、スペルが違っても答えが間違いと見なされるということでした。

 合格ラインは80点以上。考えるともうパニックでした。でもここまで来たら、あとはやるしかない。日本のよくある試験では、模擬テストとか試験のための問題集などがあったりしてポイントがつかめ易いのですが、そういうものも一切ないので自分で工夫するしかありません。
 解剖学と生理学の基礎のビデオをRACで購入し、家にいる間は何度も流して、カセットには自分で録音していつも聞いたり、単語カードを使って覚えたりといろいろ工夫してみました。この間は家族にも協力をお願いして、できるだけ勉強の時間を作りました。これだけ真剣に勉強したのは、受験以来のことでした。

 試験当日。先生とみんなで一時間前に集まり、最後のおさらいをしました。
テスト用紙が配られ、一問目で唖然。飛ばしたところがいきなり出てしまって、あせってしまいました。他にも筋肉の名称のスペルが怪しかったりして頭を抱えましたが、見直しするにも問題が多いので、ひと通り書いて出しました。

 その結果が送られてくるのは、約3週間後。筆記試験をパスすると一年以内に60人分のケーススタディを取り、レポートにして提出しなければいけません。それが終わって初めて、実技試験が受けられます。時間のない私は、通知を待っている余裕もなく、早速次の準備に取りかかりました。

 家族から始まって、友人、知人と毎日休む間もなく、次々とやり続けました。60人というのは、考えていた以上にきつくて、このオタワではそれほどの知人もなかったので困りましたが、そこではジュディがいろいろ手伝ってくれました。
 彼女は顔がとても広かったので、友人たちを次々に呼んでセッティングしてくれました。私も老人ホームに顔を出したり、メールを出して知り合った人に来てもらったりと、みんなの協力のおかげでギリギリに間に合うことが出来ました。この期間にいろいろな人を施術することが出来て、とてもいい経験になりました。

 義姉の長女、つまり私の姪をしたときのこと。彼女は週末にトロントから5時間のドライブをして、その日の夕方着いたばかりでとても疲れていました。足を触るととても熱くて、全体的にむくんでおり、血液の循環もかなり悪くなっている様子。
 目のゾーンを始め、あちこちに敏感に反応していました。仕事もとても忙しいらしく、手は腱鞘炎になっており、ストレスもかなり溜まっていたようです。

 次の日の夕方、彼女から電話がありました。前の日は終わってすぐベッドに入り、目が覚めたのがお昼の12時過ぎだったそうです。一度も途中で目を覚ますこともなく、ぐっすり眠れたと言って喜んでいました。帰る前にもう一度してほしいと言うことで、翌日行きました。相変わらず敏感でしたが、疲れがとれたので、顔色も良く、状態も落ち着いており、途中でまたよく眠っていました。

 また義兄をした時のことです。足が痛いといって呼ばれていくと、右足の土踏まずが腫れていました。もう2週間位その状態だそうです。その部分は触っただけでも跳びあがるほどだったので、リフレは途中で止めて、だまってヒーリングをすることにしました。

 リビングでみんなと談笑しながら、そのまましばらく手を当てていると、どんどん熱くなっていくのがわかりました。彼もそれに気づいたようで、何かが中でグングン動いていると言っていました。終わってからも不思議そうに自分の足を見つめていました。それから、一週間位して会った時に聞いてみると、足は自然に治ったということでした。

 ジュディの友人の一人に、やはり小さい頃ずっと虐待を受けていた人がいました。その人は喘息・鼻炎などのアレルギーを始め、肉体的にいろいろトラブルを持っていました。最初に足を触っただけで敏感に反応し、身体全体にも力が入っていて、セッションの間も両手を固く握り締めていました。
 それが、ジュディや私が何回かしていくうちに、だんだんと慣れてきて表情が変わっていくのがわかりました。精神的なものが、肉体にどれだけの影響を与えているかを感じた時でした。

 試験の前の日には、また小さな偶然がありました。ツアーが終わって、お客様たちを搭乗ゲートまで送った時のことです。見送りが終わり、後ろを振り向くと、何とリフレの先生がエスカレーターを上り、ゲートに入ろうとするところでした。

 今からトロントに向かうとのこと。先生に会うのは、筆記試験の時以来でした。明日の実技を頑張るようにと励ましのことばを頂きました。ほんとに全くの偶然でした。ちょうどその前に筆記試験の通知も送られ、自分の予想以上の好成績で合格出来たことを知りました。試験当日には、ピエールが私の家にバラの花束とGOODLUCKのカードを持ってきてくれました。そして、最後の私の練習台になってくれ、そのあと私にも施術をしてリラックスさせてくれました。

 担当の先生は、女性でとても感じの良い方でした。最初にレポートを提出し、各々のケースについて質問されました。そしていよいよ実技です。始める前に、REIKIのシンボルをかけながら、今までの練習の成果が出るようにお願いしました。

 途中でもいろいろ質問をされるので、ドキドキでしたが何とか無事終わりました。結果は、また本部のほうから通知が来るのですが、一通りチェックを付け終わった後で、「おめでとう。」と言ってくれたのです。感動でした。

 そのうえ、「You have a gift.」と言われ、「あなたのような人が前にも一人いたわ。途中で眠気と戦うのが大変だった。」とも言われました。しばらくお話をしていて、REIKIをしていることも話すと、やはり先生もセカンドまで持たれているということでした。

 これで、一つの目標が達成できました。そして次はREIKIマスターです。