[Page 12]  [Page 1]









聖なるペルーの旅



                         Page 13


2001.9.27〜10.10



10月 10日
 とうとう、ペルーを離れるときが来た。
私たち以外のメンバーは、朝早い便でリマに出発した。私たちは、まだ時間があったので、クスコの町を散歩した。そこで、ベイビーアルパカの素敵なポンチョを見つけた♪ セーター風のミニポンチョは最初に買っていたが、コートサイズをずっと探していたのだ。大抵は白かブラウン系だったのに、ここではきれいなブルーがあった。軽くて、柔らかくて、とっても温かい。それに、値段も手頃だった。(空港のブティックでは、4倍ぐらいしていた! 日本だともっと高くなっているだろうな・・) 最後に、いいショッピングも出来て、大満足(^^) 
 ホテルにスタッフが迎えに来て、エハンとマーサと最後のハッグをしてここでサヨナラ。こんなに素晴らしいツアーを企画してくれて、ありがとう。参加できて、本当に良かった。素敵な仲間たちにも出会えて、うれしかった♪ 空港へと向かう道、窓から見えるクスコの町を見ていると、思わず涙が溢れてきた。私たちをこの聖なる地へ呼んでくれたことに感謝しながら・・・。

 リマの空港に着いたのは午後2時頃。日本へのフライトは午前0時過ぎ。首都であるリマは、あまり治安が良くないので、気を付けたほうが良いと言われていたが、せっかく時間があるし、昼間なら大丈夫だろうと町に出ることにした。空港を出ると、またタクシー運転手たちが、次々に声を掛けてくる。先に荷物を預けたかったので断っていたが、それでもなお話し掛けながら着いて来る人がいたので、結局その人と交渉した。私のあやしい英語と、カタコトしか話せない運転手さんだったが、何とか話がまとまり出発。セントロという町には、たくさんの教会や宮殿に博物館など、いろいろ見て周るところもあるらしいが、私たちは観光よりも自分たちで残った時間をゆっくり過ごしたかったので、ミラフローレスに行くことにした。セントロは、かつてのリマの中心で旧市街だが、最近は落ち着いた新市街であるミラフローレスに中心が移ってきているそうだ。空港からは、約40分ぐらい。さすが首都だけあって、クスコとはまるで雰囲気が違う。車・バス・タクシーと交通も激しくて、車の中にいても落ち着かなかった。私たちの運転手さんは、フレンドリーだったので、まだ良かったけど。町の地図をもらうため、観光案内のところで降ろしてもらった。帰りも迎えに来てくれると言っていたが、私たちもどこで何をするのか決めていなかったので、ここでバイバイ。海岸までは、歩いて行ける距離なので、散歩がてら地図を見ながら行ってみることにした。中心のセントラル公園の周囲には、ブティックにレストラン、オープンカフェなどが軒を並べて、おしゃれな雰囲気。その裏は高級住宅街にもなっていて、人通りが多いながらも町の喧騒から離れて、落ち着いた感じだった。海岸の傍には、Parque del  Amor(恋人たちの公園)と呼ばれているところがあった。ペルーで海を見るのは、初めて。静かで、心が自然と安らいでくる。公園の中央には、巨大な恋人たちのモニュメントがある。柾至と二人でしばらく座っていたが、周囲には老若男女(!)のカップルばかり(^^; 海岸沿いを歩いていると、花に囲まれたマリア様の像もあった。その先を10分ぐらい歩くと、ラルコ・マールというスポットがあった。運転手さんのオススメのところだった。新しく出来たばかりのようで、海が一望出来るロケーションにあり、福岡のマリゾンに似た感じがした。ここにはブティックなどのショップやレストラン、ハードロックカフェに大きな映画館もある。ブラっと一回りした後、おいしそうなジェラードのお店を発見。次々に並んでいて、人気があるようだ。種類がたくさんあって、どれもおいしそう〜。 実際、すご〜くおいしかったのだ♪ まだ時間があるので、空港に戻る前に映画でも見ようということになったが、見たい映画はスペイン語ばかり。それで、最初に入った観光案内のビルにある映画館に入ることにした。そこまで急いで戻って、ギリギリ上映時間に間に合った。J・キャリーの少し前の映画だった。(200円もしなかったかな・・) 終わって、外に出るともう真っ暗。空港に帰ろうと思うが、車も多くなって、どこでタクシーを拾って良いやら。しかも、ここのタクシーのほとんどが、普通の車にタクシーのプレートを貼っているだけなので、イマイチわかりにくい。とりあえず、公園まで戻ることにして、お巡りさんがいたので尋ねてみた。ところが二人とも、スペイン語しかわからないようだった。話が通じなかったので、公園の中にある観光案内のところに連れて行ってくれた。そこのお兄さんはとても親切で、料金もぼられないようにとのアドバイスまでしてくれた。でも結局、日本みたいにタクシー乗り場というのはないので、メイン通りに出て自分で止めないといけなかった。そこにまたお巡りさんがいたので、声を掛けたがやはりスペイン語しか話せなかった。身振り手振りと地図を見せて、ようやくわかってもらい、タクシーを捕まえて頼んでくれた。料金もちゃんと交渉してくれたので、ほっとひと安心。これで、やっと帰れる〜。 言葉は全然通じていないのだが、乗るときには投げキッスでバイバイしてくれた楽しいお巡りさんだった。(^^) さすがに夜になると、ガラッと雰囲気も変わるし、知らない町だけに一人だと不安になっていたと思うが、柾至と一緒だったのでそうも言ってられなかった。母は強し!・・というか、二人だったので本当は心強かったのだ(笑) 








 おかげさまで無事に空港に着き、荷物を出してチェックイン。そこで、他のメンバーと会った。みんなは一緒にバンに乗って、観光して周ったそうだ。二人で歩いていたと話すと、「わ〜、勇気あるね〜」の声。ちょっと無謀だったのかな?と、今更ながら思ったりして(^^; K.Mさんからは、二人が一番すっきりした顔をしていると言われた。トレール中や儀式の真っ最中は、体重も落ちたこともあって、一見悲惨(!?)な形相をしていたから(笑)。そう、それと私たちがトレールに出発する前に行方不明になったバッグのことがある。 結局そのバッグは、出て来なかったのだ!

 あの日の夜になっても、まだ見つかっていないと聞いたとき、もう出て来ないかもしれないと思った。もし、それが単なるアクシデントだったなら、すぐに見つかって手元に戻って来ているはず。そうでなかったなら、それには別の意味があると思ったのだ。では、それは一体何・・・? そのバッグの中には、トレール中に必要なものがたくさん入っていた。二人分のシュラフ、Tシャツ、セーター、パンツ類、ジャケットなどの着替え一式、替えのコンタクトレンズ、メガネ、ディスクにアラームクロックなどの小物類・・・などが、80Lの大きなダッフルバッグにギッシリ詰まっていた。それが、キャリーカーごとGONE!全て二人分なので、確かに大きな荷物だった。そこでまず最初に、ヨマンダさんからのメッセージを思い出していた。「あなたは、いつも一人で大きな荷物を抱えている。それらは周りと分かち合うことで、むしろ全体のバランスが取れて行く・・・」それが未だに出来ていないことを、気づかせるため・・? いや、それだけではないようだ。新しいエネルギーを受け取るためには、古いエネルギーを手放さなければならないという宇宙の法則がある。でも、それもこの件とは少し違うような気もした。なぜなら、このバッグの中に入っていたものは、ほとんどが新しいものだった。シュラフも新品、着替えもほとんど登山用のものを買い揃えたものだったし、メガネもちょうど古くなっていたので、出発前に買い換えたばかり。コンタクトレンズは、デイリーの使い捨てのものが残り全部、バッグもこのために選んで用意したもの。そして、なんと私は手持ちのサイフに入っている以外の、持ってきたキャッシュを全てこのバッグに入れていたのだった。(普通は身に付けておくらしいけど・・・^^; ) トレール出発の朝、このバッグのほうが丈夫だったので、大事なものは全てこのバッグに、わざわざ入れ替えていたのだ。家を出る前は、もし途中で荷物が遅れたときのことを考えて、トレールに必要なものも均等に分けて入れていたのだが・・・。それも普段なら、トラベラーズチェックも用意するところを、今回は全てキャッシュにしていたり、おまけに成田で念のために追加して下ろしていたり・・(^^;  こんなことが偶然に起こることはない。そして、ある時気づいた。これは、もしかしたらインカ時代でいうところの、山の精霊への捧げ物だったのではないかと・・・。これから山に入ろうとする前の、見事なタイミングで・・・半ば強制的だったけど(笑) 現実的に考えたら、それらは私が働いて手にしたものと言える。でも、ここまで来れたのも、これらのものを用意出来たのも、もとは全て宇宙から受け取ったもの。この生命も・・・。だから、いま自分の手にあるもの全てに対して、執着を持つことなく、時期が来たら、いつでも宇宙に返す。身軽になって全てを委ねた状態で新しく出発するために。そして、そこでより高いエネルギー、パワーを受け取るために・・・。思い出して見ると、私は過去に同じようなことを経験していた。一度目は、福岡に来ることになったとき、二度めは柾至とカナダから日本に帰ってきたとき。それぞれに、古いエネルギーのものは手放して、ほとんど何もない状態で新しいスタートを切っている。そして今、ここまで来ている。全ては、宇宙からの導きによるものだった。そして、それは更なる魂のアセンションのためだった。
 このツアーの用意が出来たのは、ギリギリだった。でも、本当に行く必要があるなら、必ずそのために必要なものは用意されると信じていた。そして、その通りになっていた。帰ってからのことは考える必要がなかった。何があるのかわからなくても、行く必要があるのは十分にわかっていたから、信頼して全てを宇宙に委ねて来た。もちろん、全くショックがなかったわけではない。そのために、私たちはトレール中、ずっと同じ服で過ごさなければいけなかったし、借りたシュラフは薄かったのと、ファスナーが壊れていたので、最後のキャンプ地では寒くて震えていたこともあった。自分たちが買ったシュラフは、十分に寒さにも対応するものを、特に時間をかけて選んだもので、防寒用のコンパクトなブランケットまで用意していたのにと、その日の夜には今までの疲れも伴って、肉体的に参りそうになった。でもトレールに出発したら、敢えて荷物のことは考えないようにしていた。今していることだけに集中しようと・・・。実際に何とかなっていた。M.Yさんは、柾至にジャケットを貸してくれ、夜はTさん夫妻がフリースにシャツや靴下なども貸してくれたので助かったし、更にはお金まで貸してくれたので、それで必要な着替えもお土産などの買い物も十分にすることが出来た。(みなさん、その節はありがとうございました。本当に感謝しています☆) また、エハンが日本円でカンパしてくれたおかげで、成田に着いてからも助かって、ちゃんと家まで帰ることが出来た。(日本円も銀行のキャッシュカードも無くなっていたから) パスポートは無事だったし、本当に必要なものは、ちゃんと用意してもらったのだった。

 アマゾンに向かう空港で、現地のエージェントのスタッフから話があった。その会社からは、賠償することが出来ないということだった。今回の責任は、バスのドライバーになるという。それで、そのドライバーから少しずつでも返してもらうことが出来るだろうから、その話し合いの場を用意すると言った。でも、それには何の意味もないことがわかっていた。だから、その必要はないと答えた。これは、誰の責任でもなく、起こるべくして起こったもの。彼は、たまたまそれに関わっただけであること。(クスコを出る前には、ドライバーの奥さんが挨拶に来て、お礼にとプレゼントを持って来てくれた) 誰が拾ったかも、詮索する必要もない。それが、現実には誰が受け取ろうと、どこへ行こうと同じこと。だって、私たちは一つに繋がっているのだから。それもエネルギーのように循環して、必要な人のところへ行くものだと思っている。完璧な宇宙が、全て配慮してくれているはずだから。
 また、私は来るまえに保険に入らなかったのだが、それも今考えると不思議。普通だったら、入っているところを手続きしなかったのだから。エハンや旅行会社からは、入るようにと勧められていたのだが、なぜかこの時は入る必要がないと思ったのだった。(宇宙を完全に信頼していると、どこへ行こうと何をしようと、心配する必要は何もないから ^^) グループの中で、保険に入っていなかったのは私だけ。それにも全て意味がある。なぜなら、例えお金でも、このような形で戻ってきたら意味がないことだからだ。これも、宇宙とのエネルギー交換の一つ。私たちは、今回自分たちが注いだエネルギー以上のものを、受け取っている。それは、とてもお金というエネルギーでは換算出来ないもの。このツアー中、誰一人としてメジャーなケガや事故もなく、全員がそれぞれに魂の目的を達成することが出来たと思っている。そればかりか、行く先々で素晴らしい祝福を受け、最後にはみんなキラキラした輝きを放ちながら、帰って来ることが出来た。そして、それは日本に帰ってから、はっきりとした形でも表されるだろうから。

 この魂が求めた旅、それが意味するものは他にもたくさんあるような気がする。 出発する前に引いたエンジェルカードのメッセージ”Birth”が、その答えの一つを語ってくれているようだ。新しい誕生、起源、生まれ変わり・・・ 幣立神社では、内なる神性の目覚めがあり、今回はそれにDNAレベルからの魂の覚醒がされたのかもしれない。それが、わかるのはまたこれから・・・(楽しみ♪) ここまで導いてくれた、宇宙の全ての存在に感謝します ☆