[Diary 211]

 
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                                                        VOL.212

★詳しいレポートは、それぞれの日付からリンクさせたブログや、
別レポートのページにあります★


 2010年 11月 (PART 3)           
 11月 6日(新月)
 新月祀りをした後で、妙見神社へ。青空が広がり、風もなく、波も穏やか。「111」の再建20年大祭を終えて、切り替わったのが感じられる。 20年というと、私たち人間で言えば、ようやく成人として認められる年でもある。

 集まった人たちと神事を終えて、しばらく話していた。この日は、ここに鎮座されている5人の神さまが、出雲へ行く準備をしているという。その間、留守をされるものの、私たちが集まる次の神事には、間に合うように戻られるそうだった。(神々さまもご苦労さまです。^^)

 和美ちゃんが、HW栽培の佐賀れんこんで、梅漬けなど数種を料理してくれていた。どれもシャキシャキ感があり、さっぱりしておいしい。 Mayumi ちゃんも、自家栽培の枝豆でオリジナルのずんだ餅に、おにぎりや煮豆などを持参。みんな感心感心。・・・ここでは食べる人の私。(^^) 温かいうどんに、青木ママの差し入れもあって、どれもおいしく頂いた♪
 (写真右 青木さん撮影) 大祭の前に、新しい看板を付けたときに降りていた光。

   

 帰ったら、Hiroeちゃんからペルーの写真が届いていた。その中に宇治平等院鳳凰堂のお土産として、栞になった鳳凰が入っていた。それも全面が金色に輝いてキラキラ〜。(ありがとうね〜) ・・・・ その翌週には、黄金の光を放っている鳳凰の絵(プリント画)が来ることに。(!)

 次のヴィーナス エッセンスを作ろうとした時に、交流会で代表が話していた古神道に伝わる攪拌方法を思い出した。その方法を最後に取り入れてみると、仕上がりが変わった。(!) その過程で、昇り龍と下り龍が一体になり、第三の光が生まれたようなビジョンが浮かんだ。 
 早速、その夜に使ってみると、翌朝すぐに反応が出た。(はやい!) つい先日も新しい成分が加わったばかりだったけど、早くもバージョンアップになった。こうして、必要な情報とエネルギーを受け取りながら、次の段階に向けて進化し続けていく。・・・・

 11月 7日
 「ガイアシンフォニー 第七番」の上映へ。会場は、ミネハハさんに続いて、住吉神社の能楽堂だった。仕事を済ませてダッシュで入ったときには、上映が始まってから5分ほど過ぎていた。席についたところで、ライト調整のために止めて、もう一度最初から上映することになった。(!) あらあら、そこまで・・・天界の配慮に感謝。(ぺこりん) おかげさまで、オープニングから観れることになった。

 伊勢神宮の月次祭のシーンから始まった。浄化のための火がおこされ、アマテラスさまに海と山の幸を捧げている。空には稲光が走り、雷が鳴る。 二見ヶ浦の夫婦岩も映った。 続いて、大自然の見えない力を敬う祭りへ。
 一人目は、北極海横断の旅を日本女性として初めて成し遂げた、教育環境家の高野孝子さん。昔ながらの農業をされている様子も紹介。「桜には、山の神さまが降りてくる。」 「意識的に、自然との繋がりを取り戻す努力が必要。

 明治神宮、奈良の天川村・・・・そこで、天河の五十鈴も再び。そう、第一番は、天河神社のシーンから始まり、五十鈴も映し出されていたのだった。 2001年の6月・・・HWと出会って間もなく、その天河神社に訪れた。(Diary 11)  その旅で、初めてのペルーへのサインが示されていた。(当時のDiary) 2ヵ月後に再び訪れたとき、偶然ではない形で龍村監督の神事に加わることになった。激しい雷雨と稲光の後で、大きな地響きまで。(当時のDiary) ・・・・ この時も、怒涛の流れでしたね。(^^) そのことを思い出していたら、右手首が強く反応していた。  「木や石は、見えない世界と繋がるための媒体になっている。

 二人目は、自転車レース「ツール・ド・フランス」の優勝者グレッグ・レモン氏。不慮の事故で瀕死にまでなった状態から、奇跡の復活をして再びチャンピオンになった。「真の幸せは、自分の中から生まれるもの。」 生死を彷徨った人・・・死の寸前を体験して、自らの力で復活ー蘇生した人の姿は、イキイキと輝いていた。

 熊野大社。次々と、縁のある聖地が映し出される。「楽観的でないと、心は進化しない。心が進化すると、楽観的になれる。」 「自分の心の平和を保ち、変化を受け入れる心の柔らかさを・・・」 

 天川にある標高2000mの聖地、大峰山 弥山。 マチュピチュ(標高2280m)と波動が似ていて、繋がっているのもわかる気がする。だから、あの時に示されたのですね。その山頂で、火打ち石ひとつで行われる御神火拝戴神事、山頂近くの深い谷底で、地表に初めて湧き出した聖水を汲む神事。
 「水は、それ自体で、意識も心も持っている。」 「これらはみな、原初の時代に私達の祖先が、木、火、土、金、水、という大自然の五大をいかに深く崇めて敬い、丁重に扱って来たかを示すものになっている。

 最後の一人は、統合医療の第一人者アンドルー・ワイル氏。ここでも、アリゾナの砂漠から、カナダのブリティッシュ コロンビア州と馴染みのある場所が出てくる。
 「意識が変わると、生き方が変わり、素晴らしい反応がみえてくる。」 「自発的治癒力は、自然が与えてくれたもの。」 「体自身が、今の体に何が必要が選択していく。」 これはライトボディを創っていく過程で、私も経験してきたこと。自発動が起こるのも、その一つ。ヴィーナスメンバーも同じことを体験している。(こちらのブログ にて)

 「二つの意識のバランスを取る。皆既日食は、その一つのシンボル。両方を体験する必要がある。」 「男性は、意識であり、昼のエネルギー。女性は、無意識で夜のエネルギー。」 私たちの中でも、その二つを統合させる、男女和合のエネルギーが必要なのですね。

 「原因と結果は、一つに割り切れるものではない。」 「敵対するものを受け入れる柔らかさがあって、進化できる。」 「本当の幸せは、人の心から生まれるもの。 ほんの少し生き方を変えるだけで、他の人の意識にも、地球環境にも影響を及ぼして行くことになる。」 ・・・・・・

 第七番のテーマは、「全ての生命が潔く、健やかに生き続けるために。」 キーワードは、「変えられないことを受容する落ち着き、変えられることを変える勇気、その二つの違いを見分ける賢さ

 そこで、ある祈りの言葉を思い出した。
 「主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと 変えられるものを変える勇気と その両者を見分ける英知を与えたまえ。(ラインホールド・ニーバーの祈り)」
 この祈りが書かれたカードを、遠隔でワークショップを受けた人たちに送っていたことがある。

 ☆ 龍村監督からのメッセージを抜粋して・・・・

 「母なる星GAIAからミクロのバクテリアまで、この世の全ての生命体が、その内部に秘めている生命の叡智・自然治癒力の、健やかな発現を願い、祈る作品にしたい。
 自然治癒力とは、ふだんから全ての生命体の中で働き続けていて、その複雑極まりない生命システム全体の統一と調和を整えている“目には見えない力”のこと。
 時に、その生命体が命の危機に遭遇した時、それ迄の自分の生命システムを一気に変えて、その危機的状況下でも生き延びることのできる新しい生命システムに組み替えてゆく、神秘的な力も秘めている。

 (奇跡的に生還された人たちが、異口同音に言っていることとして)
 ” 命の危機に遭遇した時、その苦しみを忌むべきこととは捉えず、かけがえのない試練と受け止め、感謝の想いすら持って、からだの内なる声にしたがって、今、自分にできることを精一杯やっていると、ふと気が付くと死の淵から生還していた ” 

 すなわち、危機的状況下で自然治癒力が、健やかな方向に発現するか否かのひとつの鍵は、私たちの心のあり方にあった。今、母なる星GAIAは悪性の肺炎に苦しんでいる。過激化する天候異変は、自らの力で病を癒そうとするGAIAの巨大な自然治癒力の現れ。そして、私達人類は、そのGAIAの心を荷う存在。
 「第七番」では「GAIAの自然治癒力」の健やかな発現を願って、GAIA本来の「心」とはなにか、その「心」に寄り添うために、私達人類は今、なにに気付き、なにを捨て、なにを取り戻すべきか、を問いたいと思います。・・・・」

 私も40日間のプロセスを体験して、ようやく生命の尊さが、深く理解出来たように思う。それまで、この世で生きることに対して、あまり執着はなかった。それは以前のリーディングで言われたように、自分の元の世界に早く帰りたいという思いが、残っていたからだろうと思った。そのためか、ドクター達から繰り返し生命の危機を伝えられても、自分の中では実感も怖れもなかった。柾至に対しても同じで、私に何かあっても、彼には別の形で必要な状況・・・最善のもの(場)が与えられると思っていた。 今思うと、必要なことしか起こさないという、天(創造神)に対する信頼が強かったともいえる。

 その後のペルーの旅で、完全に復活(蘇生)したときに、ここからが始まりで、そのための身体(ライトボディ)を創ることが目的だったこと、この世でやるべきことがある内は、どんなことがあっても守られることを知った。そして、その責任を感じながら、覚悟を決めることになった。こうして活かされている生命、かけがえのない生命を大切にして、やるべきことを最善の状態で果たしていく。 自分の役割について、様々な媒体を通して繰り返し伝えられていたのは、そのことを自覚させるためだったのだと・・・。

 上映が終わって、神社の本殿に挨拶へ。ここでお参りするのは、久し振りになる。境内に入ると、「五穀豊穣」の船が二隻置かれていた。前にまわると、龍と鳳凰になっていた。(!)

   

 そこに、フミさんと和美ちゃんが来て、次のイベントのお誘いを受けた。その後で別れて境内を出ようとしたら、住吉三日恵比寿神社があることに気付いた。由緒をみると、霊験あらたかで御神徳が強いことで知られているとのこと。 かわいい御神像も、撫で撫で。(^^)

   

 11月11日
 昨夜は、1〜2時間ほど眠ったところで目が覚めて、そのまま眠れなくなり、その状態で朝を迎えた。「11」のマスターナンバーの日だから仕方ないのよね。必要なことをしていたようなので。(ほほほ) 
 前の日に録画でみた「龍馬伝」では、「船中八策」を後藤象二郎に説明していくシーンに、全身の鳥肌が立った。これまで龍馬が様々な人との出会いの中で学んだことを、一つに統合させたのだ。 一つひとつの出来事や出会いを、何一つ無駄にすることなく、自分の中に取り入れて、新しいものを生み出し、活かしていく。 それが、今の流れにも必要なこと。  「命を狙われるぐらいのことをせんと、日本は変わらない。」 そう、龍馬も命を失いかけて、覚悟を決めたのだった。・・・・

 この日は、数年前からの年間行事になってきた、玉さまの八千代座公演へ。バスに乗ったら、座席が21番になっていた。(うふふ) 途中で渋滞していたものの、予定通りに着いたので、予約していたランチへ。7月のツアーで入った「彩座」さん。今回はテーブル席へ。すると、そこから八千代座と同じ造りにした天井が見えていた。対になった虹色の鳳凰。前回の公演は、その真下の席になっていたのよね。(ふふふ) 

   

 ほとんど貸切状態になり、イケメンスタッフが丁寧にサービスしてくれて、熊本の名物料理をおいしく堪能。(それでいて、ランチセットは1000円とお得♪) 素早く、西益屋さんでいつものお菓子を買い、同じく前回見つけたお店で気に入った「山形のゆべし」をゲットして八千代座へ。

 今年も、めでたく花道沿いの席をゲットできた。(イエイ!) 第一幕は、「口上」から。幕が上がると、玉さまと獅童ちゃんが仲良く並んでいた。セリフとは別に、口上での玉さまのお話は楽しい。今年は、八千代座が完成して100年目になり、来年にかけて100周年記念事業が開催されている。 この八千代座を復興させた立役者が、玉さま。 縁が繋がってから、今年がちょうど20年目で、改装されたのが10年前だという。20年と10年の節目・・・それが私と同じだったので、ちょっと驚き&うれしい♪ 

 初めて八千代座公演に来てから、この間にも周辺が変わってきた。今年に掛けては特にめざましく、新しいお店もたくさん出来ていた。劇場内も、玉さまの提案でエアコンや床暖房が入ったりと、手が加えられている。伝統ある古きものを残して、現代にも繋いでいく。八千代座は、その象徴にもなっていた。獅童ちゃんも、このような昔ながらの芝居小屋で公演することは、昔からの夢だったと言ってくれていた。これだけの設備があって、舞台と観客席がピッタリと隙間がないくらいに近いのは、今時ないものね。(うふっ)

 休憩時間も、無駄にしないように外に出て散策。戻ってきたときに、ペルーのバッグを持っていた女の子とすれ違った。(!) リャマやアルパカの絵に、お馴染みの模様だったので、ひと目でわかる。まあまあ、こんなところで・・・。レポートを再開すると、またすぐにシンクロするのよね。(うふふ)
   

 第二幕は、「羽衣」の演目。花道が開いて、華やかな衣装に身を包んだ玉さまが登場。ライトに照らされて、私たちも眩しいくらい。目の前を、ゆっくりと歩いてくる。(きゃあ〜♪) そして、花道で立ち止まって、ゆっくりと振り返るのです〜。この瞬間は、何度でも興奮する。だって手を伸ばせば、届く距離なんだも〜ん。(^^) 天女になった玉さまは、美しかった〜。それに、歌舞伎囃子の独特のリズムと音に誘われて、時々意識が遠のき、行ったり来たりの瞑想状態にも。・・・・・ しばし天女の世界へ。(うふふ)

 第三幕は、「吉野山」。吉野山といえば・・・そう、ガイアシンフォニーに出ていた奈良の大峰山から続く山。 また今年の演目も、シンクロしているよ〜! 舞台の上は、満開の桜。そこで思い出した、初めて玉さまの歌舞伎を生で観たのは、5年前の博多座「義経千本桜」だった。 役柄は違うけど、獅童ちゃんも出ていた。
 
 玉さまは、もちろん静御前。またまた花道から、優雅に登場。その品のある美しさに、歓声が沸きあがる。今回の席は、舞台のせり上がりの前になっていて、入った時から目に付いていた。すると、その下から音がした。もしかして・・・(!) そこで扉が開き、その階段下にはスタンバイしている姿が・・・。
 何て、素晴らしい席なのでしょう。(^^) 目の前なので、中まで覗き込める。そして勢い良く、その中から獅童ちゃんが登場。(きゃあ〜♪) おいしすぎる〜! その後も、若い衆たちが登場して、花道でバク転したりと暴れまくって迫力満点。足も大きくて、筋肉がモリモリしてる〜。なんてことまで、しっかり見えちゃう。(えへへ)

 最後の見せ所となる狐忠信の場面も、お見事。獅童ちゃんも、汗びっしょりになって熱演。実際に汗が飛び散ってきたりして、これも生の舞台ならでは。桜の花びらも、目の前にヒラヒラ〜。記念に持って帰ろうとするMayumiちゃん。(^^)

 そして、何とカーテンコールまで。(!) これまで観た歌舞伎の舞台では、演目が終わったら、そのまま終了していたから、期待していなかったのに。これは、うれしいサプライズ。「アマテラス」での感動が蘇ってくる。あの舞台では、再びお祭りみたいに盛り上がって、すごく感動的だった。ある出演者が、玉さまのカーテンコールは美しく素晴らしいと言っていたけれど、まさにその通りだった。
 出演者が次々に現れて、観客席の隅から隅まで見渡しながら、丁寧に頭を下げていく。ここで、胸がいっぱいになってウルウルしてしまう。演目はもちろんだけど、全力を出し切って終わった後の演技者たちの姿が、何より美しく輝いてみえるから ☆
 
 そのカーテンコールは、拍手喝采の中で6回ぐらい続いた。さらには、その締めとして花道に全員が並んで! また目の前に、玉さまと獅童ちゃんが立ち、私たちに向かって頭を下げる。この時には、私たちも中腰状態だったので、顔と顔の距離がわずか数センチになっていたりして。 あまりにアップ過ぎて、どうしようかと思ったくらい。(笑) 普通に会ったとしても、こんなに近くで顔を合わせることはないと思うけど・・・。(^^)

 これまでの八千代座の舞台や、「アマテラス」の時も目の前で玉さまが舞う姿を観れたり、「スーパー歌舞伎 ヤマトタケル」の時は、すぐ正面まで飛んでくることになっていたり、つい先日の「マイフェアレディ」でも・・・。その時々で、いつも最高・最善の席で観れていた。
 この日の席も入るまでわからなかったけれど、あまりにピッタリの場所が用意されていて。何から何まで、本当に感謝・感謝でした。 また観客全員に、「富祝」の袋まで入っていたり。 弥栄の象徴ですね〜♪
 美しいものを目にすることで、感性が磨かれ、美意識もさらに高まってくるし、感動を味わうことは、情感を増して、心を豊かにしてくれる。

 おまけとして・・・八千代座の前では、今回も「ファラオの宝」のゴマ飴が売られていた。袋には、上エジプトと下エジプトの統合のレリーフ。この日の観劇も、まさにファラオ マジックという感じ。(ふふふ) 帰りのバスでは、「飛龍」の看板も目に入っていたのでした。(ぺこりん)

 14日には、STSからの荷物が届いた。何も注文していないのにね〜と思ったら、HWの特別栽培(STS農法)をした玄米で、収穫のお裾分けをしてくれたのだ。(それも10kg!) 四万十川の最上流で取れた新米(千代光大和錦)として、高知からのエネルギーも届いた。

 この一年間にしてきた、一つひとつのことが結果として形になる時期。その豊かな実りの収穫を、次々に受け取っている状態が続いている。本当に有難いことです。(ぺこりん) それが、次の一年への励みにもなってくる。完璧ではなくても、自分の中でやれるだけのことをして、最善を尽くしていれば、天界はちゃんと応えてくれて、それぞれに相応しいものをもたらしてくれる。
 ここでは、与えられたものを感謝しながら、素直に受け取り、充分に味わうことも大事。それは次に進むための糧となり、エネルギーの元になる。その後に待っていることのために・・・☆